'06年2月19日〜2月24日に旅行したタイ北部の写真です |
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2日目 昼〜夜・メーホーソン | |||||
隣国ミャンマーと国境を接している、タイ最西北の県、メーホーソン。山々に囲まれた、非常に静かな街である。 1960年頃までは、山岳地帯を抜ける舗装道路もなく、タイの中でも孤立した街であった。メーホーソンには、ミャンマーから国境を越えてやってくる麻薬密売組織に米や日用品を提供しつつ繁栄をしてきたという事実がある。 しかし、今では立派な舗装道路が伸び、街中には飛行場も出来た。そして、勿論、麻薬密売に関わる人々は消えていった。 チェンマイからの飛行機は毎日往復3便飛んで来ている。航空機を利用しているのは主に西洋や、近隣諸国から来た観光客であり、メーホーソンはここ10年で一気に観光地として栄えていった。 |
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ワット ジョーン カム | ワット フア ヴィアン | ワット ジョーン クラーンの 仏像 |
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ワット フア ヴィアンの 仏像 |
ワット ジョーン カム 境内 |
ワット フア ヴィアン 境内 |
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メーホーソンは小さな街である。その気になれば、一日で徒歩でも街全体を回ることが出来る。そんな街である。しかし、小さな街にも伝統的な寺院が幾つか存在している。 寺院の建物、境内の様子、そして安置されている仏像。どれをとっても、メーホーソンはビルマの影響を大きく受けている。 仏塔はタイ・ヤイ(シャン)様式と呼ばれ、境内もバンコクの寺院とは全く趣が違う。 仏像は、顔が白くなっている写実的な物や、ブロンズ製のものなどを見ることが出来た。街中の表示一つをとっても、タイ文字と共にビルマ文字での表記にも目を引いた。 |
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寺の看板には、タイ文字の下にビルマ文字 | ワット ジョーン カム | ||||
ワット ジョーン クラーンの仏像 形がちょっと変わっている |
小僧 | ||||
ここの人々に食されている料理は、極々一般的なタイ料理である。ただし、深い山間地であるので、「海のもの」は当然少ない。見かけのは“冷凍されている海老・いか”、そして“干したアジ魚の一種(プラー・トゥー)”位である。 逆に、豊富なのは野菜類、きのこ、豚・鶏肉。 ここ一帯では品質の良いきのこが沢山収穫できるようで、野菜と共に市場でも所狭しと並べられていた。 また、ここメーホーソンだけに限らず、この後訪れたメーサイ、メーサロンでもなぜか料理に「トマト」が多用されているのには目を引いた。特に炒め物系、煮込み料理系によく使われている。 これは昔からの料理法なのであろうか? はたまた、150年ほど前より植民地として隣国を支配していた、フランスや英国の影響なのであろうか? |
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街のメインストリート クンルム・プラパット通り |
パット ヘット ムー (きのこと豚肉の炒め物) |
昼からビールは 最高ですね! |
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街の市場 | ビルマ語の商品 ミャンマーから持って来ている |
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日没後、街の中心地には『露店』が出現する。その数はまさに‘市場規模’で、街が一番賑やかになる時でもある。料理屋台、衣類屋台、雑貨屋台…etc 屋台を経営しているのは、街に住んでいる人以外にも、どうやら山から降りてきた山岳民族もいるようであった。(街に住んでいる山岳民族かもしれないが…) 雑貨や、手織りの布などを販売し、大切な収入源にしているのであろう。 |
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ワット ジョーン カム 周辺には、夜になると裸電球に灯された屋台が沢山出てくる | |||||
街の真ん中に辺りに、観光客に人気のタイ料理店がある。「カイ・ムック」という名のレストランは、英語で書かれた西洋人用の旅行ガイドブックで比較的大きく取り上げられており、私が店を訪れた時も西洋人の50人規模の団体客がおり賑やかであった。 オーソドックスなタイ料理のほかに、メーホーソン料理も若干ではあるが用意されており、メニュー数は豊富。 写真の2品を定員の勧めで食べたが、あひる料理は甘いのに塩辛すぎて、よく味が分からなかった。 もう一品、クート菜という地元で取れる野菜を使った炒め物は、菜っ葉の味が個性的で非常に美味しかった。 ターメリックを料理に多用するのは、この地方から、西ミャンマー、インドへと続く一帯の大きな特徴である。 |
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ペットヤーン ナームプン (あひるの蜂蜜焼き) |
パッククート ウップ ムーサップ (クート菜と豚肉の ターメリック炒め) |
西洋人の人気店 「カイ ムック」 |