Let's cook Thailand
   タイ北部へ… 旅行記&食事集 その5

'06年2月19日〜2月24日に旅行したタイ北部の写真です
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 4日目 朝〜昼・メーサイ 〜 タチレク (ミャンマー領) ※所により「ミャンマー」を「ビルマ」と表現しています
 タイ最北の街「メーサイ」。タイとミャンマーは、約1,500kmに亘り、陸地で国境が直に接しているが、現在公式に越境できる所はわずか4ヶ所だけで、ここはその内の一つである。
 僅か5年ほど前の2001年には、この国境地帯で戦闘が勃発し、この街の住民が全員避難するという事件が発生した。翌2002年にはタイ・ミャンマー間の政治的な緊張から、国境が5ヶ月ほど閉鎖されていたこともある。
 静かな街なのではあるが、ときに国の状況によって、この街は運命が左右されて来たのである。
メーサイのメインストリート
パポヨンティン通り
メーサイの歯医者
看板は4ヶ国語で書いてある
「タイ語・ビルマ語
英語・漢語」
朝食の屋台が並んでいる
 国境近くにあり、おそらくタイ最北の寺院である、“ワット・プラ・ドーイ・ワオ”。「ワオ」とはタイ語でサソリ(蠍)の事で、一昔前にこの地域に派兵されたタイ国軍の英雄の‘あだ名’から付けられているという話である。

 寺院自体は、1960年代に中国国民党軍と闘って亡くなった大勢のビルマ軍人を追悼する目的で立てられたという噂であるが、真偽の程は定かではない。

 階段を登り、山の頂まで行くと、展望台からは眼下にミャンマー領のタチレクという街が広がっている。 国境は20m程の幅の小さな川で挟まれているだけで、全く国境である事を感じさせない場所である。

 寺の境内には、アユタヤ王朝時代の中興の祖として知られる英雄の銅像が立っている。
 彼はかつてアユタヤがビルマに侵攻された時、幼いながらも捕虜としてビルマに連れて行かれた王族の一人で、ビルマ領内で育てられた後、隙を見てアユタヤに戻り、倒れ掛かっていたアユタヤ王朝を再びビルマから取り戻したという、アユタヤ時代の大英雄である。

 またその横には、この寺の名前にもなっている「サソリ」の巨大な石像が立っている。寺院には似つかわしくないほどの迫力で、眼下に広がるミャンマーの街を威嚇するかの如く、その矛先を向けている。
 先の銅像もミャンマーを見下ろすように建てられており、「タイ」と「ミャンマー」という国の国境がここに有る、と一番認識させられた建造物であった。
ワット プラ ドーイ ワオ 祀られている
アユタヤ王朝・中興の祖
国境 その1
(左上) ミャンマー
(右下) タイ・メーサイ
国境 その2
(右上) ミャンマー
(左下) タイ・メーサイ
国境 その3
(右) ミャンマー
(左) タイ・メーサイ
ワット・プラドーイワオに置かれている
スコーピオン(さそり)
眼下、ミャンマー・タチレクの街を向いて威嚇している
タイの国境
イミグレーション
 現在、実際に国境を渡ることが日本人でも簡単に出来る。 タイ国境のイミグレで出国スタンプをもらい、60m程度しかない橋を渡ってミャンマーの外国人用イミグレへ。 ここで、与えられるのは1日だけの滞在ビザで料金は250バーツ(又は10ドル?)。 パスポートはイミグレに身代わりとして取られ、代わりに滞在ビザ券(パスポート引換券)が渡される。 非常に簡素な物である。

 それとなぜかこのミャンマーの外国人用イミグレには日本語が大変上手なミャンマー人がいた。タイ語とつたない英語で話しかけたこちらが恥ずかしいぐらい…
 それほど日本人の旅行者が多いという事なのであろうか?? 
(←ちなみに携帯で喋っている写真のイカシタ男ではない)
国境の川に架かる橋 橋上の旗
タイとミャンマーが並んでいる
ミャンマー入口
ミャンマーの
イミグレーション職員
外国人用イミグレ
一日だけ有効の滞在ビザは
ここで発行してくれる
(250バーツ)
パスポートと引き換えに
渡された、一日限定滞在ビザ
この間パスポートは
身代わりとして取リあげられる


 ミャンマーは、アメリカ式で車両は右側通行である。 タイはイギリス式の「左側」。
 国境を渡る車両は橋上で左右を入れ替える。 また、タイから徒歩で入る場合も、タイ出国は左側ゲート、ミャンマーの入国は右側ゲートなので、橋の途中で左右を入れ替えなければならない。
 
 タチレクに入ると、あっという間に街の空気が一変したのを感じる事が出来た。
 タチレクの街中は当然であるが、看板や店に並んでいる商品はビルマ語(文字)であふれ、人々の格好もタイの人々とはちょっと異なっている。
 托鉢をしている僧の服(袈裟)も、タイでは橙色なのに対して、ビルマ仏教は赤茶色の袈裟を纏っている。
 仏教徒と共にイスラム教徒のミャンマー人もこの街には多く住んでいるので、それらしき格好をしている人々も多い。
 
 歩道は穴ぼこだらけで、下を見ながら歩かないと危なくて仕方ない。 なんか、タイの「たくましさ」とはまた異質のそれがこの街にはある気がした。
ミャンマー・タチレクの街に入ってすぐあるロータリー タチレクのメインストリート
(たぶん)
交通標識?
なんて書いてあるか意味不明
歩道は穴ぼこだらけ 人の往来は激しい
僧にタンブン中 男女共に、タイではあまり見かけない格好をしている人が多かった。
どちらも、イスラム教徒の格好
 先に述べたように、この街にはモスリム(イスラム教徒)のミャンマー人が多い。 その為、イスラム料理屋も各所で見かける事が出来る。 目印はイスラムのマーク(星と三日月)や漢字(中国語)で「清真」と書いてあればそうである。(タイ語でもムッサリムと書いてある)。

 早速クイッティアオ(麺)屋を見つけたので、利用してみた。壁に貼ってあるメニューは完全にビルマ語で書かれており理解不能…。
 仕方なく、店員にタイ語で「サワディー・カップ」と挨拶をしてみたところ何とか通じたので、変化球ではなく直球で「クイッティアオ・ナーム(汁ありラーメン)ちょうだい」と注文してみた。
 すると、不思議そうな顔を一瞬した後、「あぁ、クイッティアオ・※♪□×#▽、ねッ!!」と答えてきた。恐らくそれがビルマ語の呼び方なのであろう…
やっぱりサッパリ分からん。

 出てきた料理は←左写真の通り。 あっさりとした薄味のクイッティアオで全く辛みは無い。 付け合せには漬物とマナオが出てきて、タイ北部料理の麺料理「カオソイ」と一緒である。
 タイでは4種の神器となる卓上調味料がなく、代わりにタイ産の調味料が3種、瓶ごと置かれた。(ナンプラー、チリソース、シーユカーオ)
 料金は20バーツ。 この街ではタイバーツが使えるので両替の必要は無いようである。
モスリムの料理を
提供している店
店に掲げてあるメニュー
やっぱりサッパリ分からん
すぐに出てきたお茶。
タイ語名
「クイッティアオ・ナーム・ヌア」
ビルマ語名
「クイッティアオ・※♪□×#▽」
(聞き取り不能)
ここの調味料は全てタイ産
 朝食のハシゴ2件目。
ミャンマー時間、AM8:30頃 (ミャンマーはタイより30分遅れている)。
 朝食を取っている民衆が沢山いた道路沿いの店に入ってみた。 皆が食べているのはタイで言う「パートンコー」。私も同じ物と思い、先ほどと同じ要領で「パートンコー、ちょうだい」と注文すると、店員のオバちゃんは無反応。どうやらビルマ語では「パートンコー」と言わないらしい。 困った顔をした後、外に飛び出したと思ったら、タイ語が出来る人を連れてきた。 改めて「パートンコー」と私が言うと、「あぁ、#★Й@!!」と分かった様子。 
いくら国境沿いとはいえ、ここはミャンマー。タイ語は通じない…
朝食第二弾
(タイ語名)
「バートーンコー」
(ビルマ語名)
「……」
カフェ
ベトナム式というか、
ラオス式というか…
コンデンスミルクが底にある
一般人の朝食風景
 ミャンマーの女性がよく顔につけている黄色っぽい粉がある。(写真参照)

 白粉(オシロイ)のようでもあるが、タイではあまり見かけたことがなかったので、市場でこれを売っていたネェちゃんに、買う気も無いのに色々と聞いてみた。
 すると、これは「ペーン・パマー」とタイでは呼ばれている物で訳すと「ミャンマーの粉」であるという。
  なんか怪しげな名前だが、なんてことは無い、‘にきび防止’と‘日焼け防止’に効果てき面なのだそうである。 
残念ながらお土産には不適当。(通称イヤゲ物)
ミャンマー人の女の子
顔が白くなっているのは…→
コレをつけているから。
ミャンマーのオシロイ??→
オシロイの原料は、この木(↑左)
↑右の板(?)で削り卸して、
水に溶かして使うそうである
 ミャンマー側の国境には大きな市場がある。タイ人の商人がここで中国やミャンマーで生産された物などをタイに持ち帰っているようである。

 衣類、食用品から、海賊版のCD、怪しい外国銘柄のタバコまで、ここの市場には色んなものが売られていた。
 手持ちの旅行ガイドブックによると、ここで売られている西洋銘柄のタバコの中身は、だいたいがミャンマー製の粗悪品なのだそうである。
売っているミャンマー人の格好もどことなく怪しく見えてきた…
まさに国境に接している市場
タイ人はここで大量に雑貨や生活用品を買って行く
(タイ人の国境往来は必要書類があれば、
指定範囲内で比較的行動自由)
市場で売られていた西洋タバコ
中身は…→


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