Let's  cook  Thailand

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私のたわごと・・・ その88 ('04.6.10)

タイ人には、日本人とは違った感覚の「人権感覚・身分感覚」がある気がする。

日本では全国民、いい意味で「皆、横一線」の身分であるが、タイでは産まれたときからの“身分”というものが、数値や物理的にではなく“感覚・ソフト”として存在している。 (歴史的には身分が数字で存在していた時代が有ったそうである)

タイ政府機関は今「教育の大切さ」を説き、教育現場にいる教師から教育改革を実践していこうという動きがある。が、しかしどうしてもこの教師の“身分”と生徒の“身分”に大きな隔たりがあったりすると、ねじれ構造が出来上がってしまっているみたいで、どうもうまくいっていない。 なにせ、教師だけをとってみても“上”、“下”の身分があるのには根本的にどうなのかと思う。

ちょっと分かり辛かったかも知れないが、つまり、この世に生を受けたときから、人生「キャリア」と「ノンキャリ」のマークが体に付けられているようなものなのである。

タイ人の感覚で通常は、身分が「1」の人間は同じ身分「1」の人間としか結婚しない。「身分5」の人間は必然的に「身分5」の人間と一緒になるのである。なので、生徒も教師もどうしてもねじれてくることがある。

この結婚の身分における例外が国際結婚。 とくに日本人やドイツ人と結婚するタイ人が多いのは、外国人はタイ社会における自分の「身分段階」を見出すことがあまり無いからだと思う。 外国人は相手のタイ人の身分と自分の身分の比較をあまりせず、基本的に無視出来る存在だからである。タイで生活をしていく上で、仮にタイ人と結婚をする場合、その相手のタイ人の「身分段階」がどこの位置にあるかにより、その後の人生が大きく変わってくる気がする。

それは、同じ状況における日本でのそれとは比較にならない程の様でもある。

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