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私のたわごと・・・ その35
カンボジア暴動事件について
('03.1.30 & 2.7 & 2.21追記)
《1月30日》
先日発生した、カンボジアのタイ大使館襲撃・放火事件はカンボジアでは事態の収拾に向かっているようだが、タイ国内では、依然として反カンボジア感情が異常なほどまでに盛り上がっている。
実は私の職場は、タイ・カンボジア大使館の比較的近い所にあり、大使館前では、一日中デモが行われていた。私もちょっとした時間に大使館周辺を見に行った。デモ隊、警官、野次馬と共に、多数の報道陣もおり、「TV Asahi」の取材クルーもいた。
私はデジカメを持っていなかったので、左の写真はネットニュースからの引用。タイ人も当然「自分の国超大好き民族」であり、カンボジア大使館一帯は道路が閉鎖され、タイの国旗であふれ、物々しい雰囲気で近づきすぎるのはちょっと危険な位であった。
飛行機ののバンコク-カンボジア便はほぼ全便欠航している(注・3月までには復旧済み)というし、国境も全て閉鎖して、実質的に国交断絶状態になってしまった。歴史的な背景もあるので、すぐには元の関係に戻らないのでは… というのが、バンコクで耳にする大方の意見である。
ただのパフォーマンスでタイ国旗を燃やすだけでなく、一番してはいけない王様の写真を踏みつけるという事をしていたカンボジア人に対し、タイ人は一般市民も今回の件に対してかなり、というか危険な位怒っていると私は感じている。
《以下、2月7日追記》
日本では、あまり報道されていないようなので…
先日のカンボジア暴動だが、カンボジアの外務大臣がバンコクに来て、全面的にカンボジアの非を認めて謝罪した。
また今日は日本で川口外務大臣とこの外務大臣は会談した模様。
運休していたバンコク-プノンペン間の飛行機は、バンコク・エアウェイズは既に通常通り運行中。
陸の国境(アランヤプラテート・ポイペット)は明日、一部開放されるよう。
ただしカンボジア人のタイ入国のみの解放で、タイ側から陸路でカンボジアに入ることは出来ない模様。
この事件、カンボジア側の全面謝罪で決着しそうだが、カンボジア人の秘めたる反タイ感情を実際に目にする事になった。
同時にタイ人の自己意識の高さ、軍隊の行動力(暴動直後には特殊部隊・空母・戦闘機を配置して即刻臨戦態勢を敷いていたらしい)を実際に知ることにもなった。
もしこのような有事がタイでなくて、日本であったら、時の総理大臣は同様な臨戦態勢を即刻で敷くことが出来るのであろうか?
《以下、2月21日追記》
あの暴動は、一体なんだったのだろうと言うのが、私が感じる今のタイの雰囲気で、決して一時的にでもタイが危ない状況になったとか、そんな事は全くなかった。
また、バンコク経由でカンボジアのアンコールワットに行く観光客もほとんど減っていないという事だそうである。
タイのカンボジア大使館にも、あの事件の翌日、延べ数千人の人たちが集まって抗議活動をしていたが、国王様の「落ち着きなさい、あななたちはカンボジアであった事と同じ事をしてはいけません」の正に天の一声で事態は一気に沈静化した。
今回の騒動で、一番の被害を受けたのは、実はカンボジアの一般市民たちのようで、タイが外交閉鎖をしたせいで物がタイから入らなくなり、物価が2倍近くに上昇し、現在も生活に困窮しているそうである…。
また逆にタイで一番被害を受けたのは、女優「ゴップ」ことスナワン・コンイン(24)。ある日突然、自分が身に覚えの無い理由で悪者にされて、それが元で国と国が憎しみあい、無邪気な子供が自分の写真をやぶり、燃やし、暴動がおきて、人が死ぬ。
凡人の想像を超えたその苦しみは、この女性が背負うには過酷過ぎるものだけであったに違いない。
タイとカンボジアが演じた今回の騒動は、あまりにも意味が無かった。
事の発端があまりにも子供じみたデマ報道であった為に、けんかの後の歩みよりも理解も全く無く、腹を割って話し合うべき内容が何も無かった。
一方的な抗議と謝罪、そして一国の国家予算の8%にものぼる事務的な賠償。
タイ人の心の奥底にあるカンボジア人の偏見が根を広げ、カンボジアは国際世論に恥をさらした、ただそれだけの救いようの無いドタバタであった気がしてならない。 《資料参考・「DACO」Number115》
《4月24日追記》
1月下旬に発生した、カンボジア・プノンペンでのタイ大使館襲撃暴動事件であるが、直後より、タイに引き上げていた大使がプノンペンに戻ったそうである。
今まで事実上停止していた外交関係も、これで一気に復活する見通しのようである。
ただ、先日バンコクのカンボジア大使館前を通ったとき、未だにこの建物だけは何か異様な雰囲気の中にあった。完全に以前の状態に戻るにはまだ暫くの時間がかかるような気もするのだが…
≪5月31日≫
タイのタクシン首相と、カンボジアのフン・セン首相が、今回の騒動の発端となった場所、カンボジアのアンコールワットとタイのウボンラチャタニーの2箇所で同日に合同閣僚会議を開いた。
今回の事件の反省と、今後同じような事が二度とおきないよう、相互協力を兼ねた閣僚会議だったそうである。
記念写真の時間では、両国の首相が手を握り合い、高々と挙げている写真が撮られ、両国のこの事件における1つの大きな区切りが付いたようである。
何はともあれ、特に大きな血が流れる事もなく、事件が完全に近い形で解決したこと関しては、両国民とも少なからずホッとしているようでもある。