Let's  cook  Thailand

アロイ!! タイ料理
不思議の国「ラオス」 旅行記&料理集 
その3 ('03年1月2日〜1月3日)  “旅行表” 
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 1月2日(木) 昼・ルアンパバーンの人々 その1
ルアンパバーンの人々、子供編

ルアンパバーンの街では多くの子供達を見かけた。
皆、遊ぶといったら外しかない。本当にどの子も元気に遊んでいた。 

(左上)
寺の小僧が住んでいる所にて撮影。建物の小さな小窓から、小僧が子供の姉妹にお菓子をあげていた。

(中上)
寺院に入ると、橙の袈裟をまとった小僧が木陰などでひと時の休憩時間を自由に使っていた。
          

 1月2日(木) 昼・ルアンパバーンの人々 その2
ルアンパバーンの人々

タイもバンコク以外そんな気がするのであるが、ラオスは時間の流れがかなりゆっくりである。日本で感じるせわしなさをあまり感じることは無い。
それは、仕事をする気が無くてダラダラと生活をしているのでは無くて(一部はそうだが… →右上のオバちゃんは市場の職場にて爆睡中 AM11:00) 、このような所に来れば何となしに感じる独特の時間感のような気がする。
せわしなく生活する必要が一般人には基本的に無いからなのであろうと思う。

しかし、ルアンパバーンの街も観光地化が進むにつれ母国語である「ラオス語」以外の「英語」や「フランス語」を自由に操って仕事をする人がドンドンと増えてきているのは事実の様である。そんな“ビジネス人”が増えていくということは、ラオスも少しずつではあるが、社会主義の長い鎖国状態の歴史から発展している証拠なのであろうとも、別の面では感じ取ることが出来る。

 1月2日(木) 昼食 

 以前、別の店で食べたカオソーイを紹介したが、今回のカオソーイ屋はガイドブックでも紹介されていた地元民の集まる店。
ここの店に入ったのはAM11:30頃。まだ昼前だったので座ることが出来たが、12:00過ぎには、ほぼ満席状態。確かに、地元民が良く来ているようである。 

ベースはここも鶏がらのあっさりしたスープに、トマト入りの肉味噌が入っているタイプで、このままでは殆ど辛く無い。テーブルの上には、タイと同じように砂糖や、ナンプラーといった調味料が沢山置いてあり、食べる人自身が好みの味付けをする。辛いのが苦手な人は、辛味(ナン・プリック・パオ)を入れなければいいし、好きな人は辛味をドサッと入れる。その量たるやラオス人であれば、半端な量ではない。
私はそのナンプリックパオを大匙1程入れたが、それでもボチボチと辛かった。

食べている途中、手洗いに立った際に、ちょっとキッチンを覗かせてもらった。
ガスの火口はなく、使っている火力は、自然の薪(まき)。男手は無く女性だけでこの店を切り盛りしていた。具の肉を切っているケツのでっかい母さんの横では、のんびりとした犬がいた。“お気楽ゴンタ”より暇そう…

メニューの品数は決して多くは無い店であった。






カオ ソーイ
(ラオス北部風、米麺トマト入り)
カオソーイ 7,000Kip (≒28バーツ≒80円)

 1月2日(木) 昼〜夕方 ルアンパバーン→ 
 ルアンパバーンは寺院の街と紹介していたが、よく見返すと、寺院の写真がこれまで無かったので、ここで少ないが掲載。京都の清水寺や奈良の東大寺ように大きい寺はこの街には無く、こじんまりとした寺院が、無数にルアンパバーンの街にはひしめき合っている。

 しかし、寺自体は小さくとも、そこに飾られている物品や装飾品は、歴史を感じさせるものが多く、観光客が多いのにも納得が出来るものが多い。
 
 博物館には、フランスのシャルルドコール将軍(後の仏大統領)から送られたフランス製の陶器や大阪市から送られた大阪城の絵柄の入った皿、アメリカからは月に行ったアポロ宇宙船の模型など、ここが一昔前まで一国の中心であったことを物語る物もこの山間の小さな町には置いてある。
   
 とある歴史の深い寺に行ったとき、境内にある大木の下に金色の仏像が置かれていた(右上写真)。雨ざらしにも関わらず、綺麗な状態で置かれていることに、ここの人たちの仏教に対する信仰の厚さを少し垣間見た気がした。
夕方が近くなり、滞在していたルアンパバーンから、再び現在の首都・ヴィエンチャンへなんと飛行機を使って戻ることにした。8時間かけてバスできた道が飛行機だと僅かに35分。あっと言う間である。ルアンパバーン空港は、ラオス第2の空港であるが、かなり質素。これでも一昨年に日本の援助で出来た新しい空港で、以前はかなりボロかったらしい。
利用航空会社は「ラオス航空」。勿論こんなときにしか利用できない航空会社である。国際線では隣接している国(中国、ベトナム、カンボジア、タイ)にしか飛んでいない。この航空機を日本で見ることは出来ない(オフィスはあるようだが)。写真のプロペラ航空機が、この航空会社の一番大きい機種。「この機種以外は安全でない」と日本の外務省は通達を出しており、超マイナーな航空会社である。乗客は見渡した限り全員外国人。ラオス人は乗務員だけの様であった。
ヴィエンチャンへ出発前、ルアンパバーンのちょっとだけコジャレたオープンカフェで同行している知人とワインを飲んだ。
ワインとはいっても、ブドウのワインの訳が無く、原材料不明の甘いアルコール入りジュース。一瓶あたりは以下に記載している通りの値段で、アルコール飲料でしかも店で飲んでいるのにかなり安い。

『ワインと思って飲むべからず』である。ヴィエンチャンでしか生産していない様で、国外にこの商品が出ているかは、これまた不明。バンコクでは見たこと当然無い。
Wine Lao
(ラオスワイン)
Wine Lao/瓶 12,000Kip (≒48バーツ≒137円)

 1月2日(木) 夜・夕食 再びヴィエンチャン  
 ルアンパバーンから、ヴィエンチャンに再び入った。
メコン川近くのホテルを押さえた後、タートダム(黒塔)の近くにある「スックビーマン」という名のラオス料理レストランへ行った。丁度この店に入ったとき、店内には2組客がおり、しかも2組とも日本人であった。全員同じ「地○の歩き方」をテーブルの上に置いてある光景にはちょっと笑えた。かくいう私も持っていたが。

小洒落た、ちょっと街の暗い所にある小さなレストラン。
タイ語で言えば「ラープ・プラー」である。“魚のラープ”。ラオスには海が無いので、ここの辺りで出てくる魚は皆メコン川で獲れた魚である。川魚なのでそのままではどうしても臭い。そこで、魚料理といえば大体決まってキツイ香辛料や味付けである。 魚のラープはバンコクではあまり見かけない。バンコクにもどこかに存在はしているのであろうが、ポピュラーではない。しかし、この店では“魚ラープ”がメニューの一番上にこれが書かれていた。
 ラープ パー タット
(魚のラープ)
ラープパータット 30,000Kip(≒120バーツ≒342円)
 左の牛肉の料理を撮影したとき、ラオス語のメニュー表記も一緒に写真を撮っていた。ラオス語でなんと言う名前なのかをバンコクに戻った後でタイ人にでも聞こうと思ったら、タイ人にもこのラオス語が読めず、結局なんという名前なのかが分らずじまい… 「○○ジェオ」という所までは分ったのだが… ゴメンナサイ。この料理、一言で言ったらラオス版ビーフジャーキー。
 “スップノーマーイ”とタイ語で言ったら本当にスープ状であるが、ここではそうではなかった。店員さんに「全く辛くない料理」聞いたら、これを勧めてくれた。筍を炒めて、ここの辺り独特の味付けがしてある料理。ちょっと自然の味(どんな味だ…)がするので人によって好みは別れるかもしれない。
(牛肉の半乾燥) スップ ノーマーイ
(筍のスープ)
スップノーマーイ 15,000Kip (≒60バーツ≒171円)
 
 行く所行く所で食べているが、やはりここでも注文してしまった。ソーセージ。ここのソーセージも酸っぱいタイプではなく、日本人になじみやすい味のソーセージ。中に入っている肉は粗引きでハンバーグの種の様感じである。ビールのあてには私的に最高!! 写真は無いが、勿論この食事のときも「Beer Lao」飲んでます。
 
 勿論食べるといえば、カオニィアオも同様。竹篭に直接入ったカオニィアオはバンコクではなかなかお目にかからない形とあってラオス情緒満点。あっ、これも私的にの事柄。
 
ウア クゥワーング
(ソーセージ)
カオニィアオ
(もち米)
ウアクゥワーング 25,000Kip(≒100バーツ≒285円)

 1月3日(金) 朝 パトゥーサイ(アヌサワリー)・ラオスの凱旋門  
 ラオスは旧フランスの植民地であった。しかし、ヴィエンチャンの街は、他のどの国の首都よりも確かに貧相である。ビルもないし、大きな道も今のところない。 
そのラオスで最も大きな建物というのがこれである。 「パトゥーサイ」、パリの凱旋門をまねして、作り始めたのは50年ほど前なのであるが、まだ完全には完成していない。ガイドブックには、“パリの凱旋門よりはるかに小さい”と書いてあったが
決してそんなことは無く、決してひけをとらない大きさである。(実際パリの凱旋門もメチャメチャ大きいわけでもないと思う)
 建物の中はフランスの西洋的なものとは違い、ここの物には、東洋的、仏教的な装飾が施されている。、
パトゥーサイ 昼 パトゥーサイ 夜
ラオスの凱旋門も、上に登ることが出来る。入場料は1,000Kip。12円程度。これはパリの本場と大違いでかなり安い!!  上に登ると、360°のヴィエンチャン・パノラマ風景が広がっている。やはり、これより高い建物はここの街には見当たらない。

北を向くとこの凱旋門を中心に道が3本に放射状に走っていてっている。
南を向くと、驚いたことに、パリのシャンゼリゼ通りを真似しているのであろうと思わせるように、かなり大きい大通りを現在建設中。道は2km程で道の突き当りにはホワイトハウス(迎賓館)がある。ラオスの独自性も何も無い。ただの大国からのパクリ建造物のような気もする。しかしそれが一国だけパクリでないところがかなり面白い。
パトゥーサイより
ヴィエンチャン市内

パトゥーサイより
ヴィエンチャン市内

 フランスからの独立を勝ち取った後の1960年代以降、この国自体はとても平穏だったとはいえない。他の国の援助なくしては人々が生活できる状況ではなかったのである。 

 この国は独立にあたり、「社会主義」という選択をした。その為、資本主義であった隣国タイや米国などの国からの援助が無く、国自体が崩壊しつつあった。そこを救ったのが、旧ソビエト連邦とお隣の社会主義国、ベトナム。 ラオスの国を歩いていると、ラオス国旗と共に、ソビエトの国旗やベトナムの国旗が一緒に飾られていることが多々ある。 ラオスの国は、ラオス語と、フランス語と、ソビエト・ベトナムの社会主義国旗が普通に並んでいる、国でもある。

 1月3日(金) 朝 タートルアン 
 ヴィエンチャンの町の中心からちょっと離れた所に、「タートルアン」という寺がある。この寺は、ラオス全国の寺院の中心に位置している所で、、その偉大さを誇示するかのごとく、本堂は金色で塗り固められている。 タイにはワット・プラケーオ(エメラルド寺院)という寺が同じようにタイ全国の中心である寺だが、ここもまた同じである。 旧暦12月の満月の日にはタートルアン祭という祭りが行われているようで、金色の本堂が電飾され、日本ではあまり考えられない“ピッカピッカ”の寺になるそうだ。ちなみに同じ12月の満月の日、タイではローイクラトン(灯篭流し)が行われていて、両国にとってとても大切な日である。
 本堂の周りは回廊になっていて、沢山の仏像が並んでいたる。

 1月3日(金) 昼 ワット・ホー・パケオ 
本堂の中は撮影禁止だったので、境内の写真しかないが、ここは、タイのエメラルド寺院・ワット・プラ・ケオと同じ名前の寺院。
バンコクにある「エメラルド仏」は昔この寺に安置されていた歴史があり、それをタイ人が侵攻してきたときに持ち去ったとの事である。
タイ人は「エメラルド仏は元々タイの物で、それをラオス人が奪い、再び奪い返した」と言っているし、ラオス人は「あれはタイ人のただの略奪だ」と実は今も言っている。ラオス側は返還を要求しているが、タイ人のエメラルド仏に対する信仰を考えると、まず100%あり得ない話だと思う。 
 先日のカンボジアとタイとの事件もそうだが、タイと周辺諸国というのは昔からの領土戦争のせいで潜在意識的に基本的に仲が悪い。タイだけが急激に経済発展しているので、他国があまり口を出せない状況になっているのが現実なのかもしれない。

首都であるヴィエンチャンの中心部であるのにも関わらず、場所によっては未だにコンクリート舗装されていない歩道がある(左写真)。
ところがそこのすぐ近く、ワット・ホー・パケオや迎賓館(ホワイトハウス)のある辺りからパトゥーサイ(凱旋門)までの道は現在急ピッチ(?)で大規模舗装工事中。
現在、この国には「タイの米」のように特にこれと言った産業が無く、海にも面していないので、経済の発展が全くと言って良いほど進んでいなかった。
ところが近年になって、他国からの援助もあり、超スローではあるが開発は確かに進んでいるようである。

 1月3日(金) 夕方〜夜 ヴィエンチャン→タイ再入国 
 市内でトゥクトゥクの運ちゃん(左写真・親子連れ)に、もう持っていても仕方ないラオスKipを全額渡すから、タイの国境まで行ってくれとお願いした。 

 ところが、ヴィエンチャンから、タイへの国境入り口までは25km。バスで30〜40分の距離である。「遠すぎる」ということで、おもいっきり拒否されてしまった。おまけに持っていた全額というのは20,000Kip(≒230円)以下。
「それならバスで行きなよ」とバスターミナルま15,000Kip(≒170円)で連れて行ってもらい、バスで国境まで向かった。バス賃は一人1,500Kip(≒18円)。
 再びタイにメコン川の橋を渡って陸路で入国。
国境から、バンコクへの電車が出ているノーンカーイ駅は2km程度の距離。電車出発2時間前には駅に着いた。寝台電車の中で食べようと思っていた写真にあるタイ料理の夕飯を近くの売店で買った直後に、この旅一番のトラブルが発生した。最後の最後で…
 
 「電車が遅れている」と駅構内ではずっとタイ語のみでアナウンスが流れていた。
近くのタイ人に確認したら、遅れているのは私達の乗る電車だということであった。始発であるここ、ノーンカーイ駅に停車中の電車には“クルンテープ(バンコク)行”と書いてあるだけで、出発時間の表記は無い。
そもそも、ここで確認したのが一般タイ人だったのが私の完全なるミスで、車掌に聞かなかったのが悪いのであるが… そう、私達の乗る電車は遅れていなかったのである。
そして私達を乗せずに、寝台電車は爽やかに定刻通りバンコクに向けて出発してしまった。何か変だと気が付いたのはその電車の出発直後で、ホームに出て確認した時にそれが発覚した。

 寝台列車は1日に1本。慌てて、チケットカウンターに行くと「もう明日まで無いよ、鈍行列車も満席だから、チケットは売れないよ」と言われる始末。もう、こうなったら最悪である。まずは次の駅まで車で先回りしようと一考。次の駅までは30km以上。車を持っていた見知らぬタイ人に困った顔で頭を下げたら、「危ないから、イヤ」と突き放されるように言われた… 終了。

 この時点でPM7:30。チケットを返せば半額は返してもらえるということであったので、もうこうなったら、電車はあきらめるしかない。チケットを返して電車賃の半額300バーツを得、ノーンカーイのバスターミナルへ即行で向かった。
年始のこの時期、どの交通機関も混んでいて、正直この日のうちにバンコクに戻れるかどうかバスターミナルへ向かう途中も心配であった。ところがなんとかギリギリの滑り込みセーフで、出発直前のバンコク行き・深夜バスに数席だけ空席があり、乗り込むことが出来た。バンコクまでのバス賃273バーツの一番安いバスである。

 かくして、翌4日の朝6:00。無事にバンコクのモーチットバスターミナルへ私達の乗ったバスは到着した。
ガイ ヤーン
(焼き鶏)
ムー ヨー
(豚肉、ソーセージ)
ガイヤーン 25バーツ(≒72円)/1本
ムーヨー 15バーツ(≒43円)/1個

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