Let's  cook  Thailand

アロイ!! タイ料理
不思議の国「ラオス」 旅行記&料理集 
 その1 ('02年12月29日〜30日)   “旅行表”
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 12月29日(日) 夜・バンコク (フォアランポーン駅) 12月30日(月) 朝・ノーンカーイ
ラオスに行くにはタイ・バンコク経由で入るのが世界中のバックパッカーの共通認識。手段はいくつかある。バンコクからヴィエンチャンまで飛行機。バスでバンコクからタイ最東北部の街ノーンカーイへ入って、そこから国境であるメコン川を渡ってヴィエンチャンへ行く(ヴィエンチャンはタイ国境に面したラオスの首都である)。同じくバスより遅い電車を使ってのんびりノーンカーイへ行き、ラオスへ入る。大体この3パターン。

ツアーなどで日本からラオスに来る人は、まず間違いなく一番目の飛行機。バンコクから僅か1時間程度のフライトである。
二つ目のバスで行くとなると大体8時間〜9時間程度でノーンカーイへ着くことができる。バンコク・モーチットのバスーターミナルからはひっきりなしに一日何本もバスが互いの街区間を走っている。時刻表を確認する必要はない。その代わりチケットの事前予約制がしっかりしていないところが難点。
電車はバンコク中央駅(フォアランポーン駅)から寝台列車が一日1本出ている。事前予約は勿論可能。電車で行くと何もないイサーン地方の車窓風景を眺めながらのんびり(?)とノーンカーイへ行くことができる。
さぁ、どれを選択するか。今回は迷わず三番目の電車を選択することにした。2ヶ月前にチケットは抑えていたので、当日は難なく電車に乗ることができた。
 フォアランポーンはバンコクのターミナル駅とは言っても、日本の東京駅のようなせわしない感じはない。
 一日の列車発着数は簡単に数えることのできる程度しかない。北のターミナル・チェンマイへ、東のウドンラチャタニーへ、そして東北のノーンカーイへ。これらへ向かう普通列車には今から10時間近く乗車するというのに、乗車率は150%を超え、人々はギュウギュウ立ち乗り状態でこの駅を出発して行く。夜21:00だというのに、私のように寝台列車に乗り込む人は僅かである。また、到着する列車からは大きな荷物を抱え込んだ人々が次々に降車しバンコクの決して暗くなることの無い闇へ消えていく。「混沌」と言う言葉の雰囲気がとても似合う場所である。
タイ国内の移動手段で最大規模のものといえばバス。鉄道路線が日本のように細部まで行き渡っていない現状を見るとそれも当然かもしれない。タイは鉄道があるからまだましである。今からいくラオスには鉄道の線路すらない。 

 予定ではバンコクからノーンカーイまではおよそ11時間。朝8:00には到着するはずである。朝6:00、列車の右側に広がるコラート高原から太陽が昇ってくると同時に起床。列車が駅で止まったときに現在位置を確認したところ… まだ全行程の2/3しか進行していなかった。日本のように時刻表どおりに列車が動くと思ったら大間違いであった。9:00頃、やっとノーンカーイまであと2時間ぐらいという所で列車の中にガイヤーン売りが入ってきた。バンコクでは見たことのない、一羽丸ごと串刺し。35バーツ。迷わず購入。ところが食べ方がわからない。仕方がないので、同じくこのガイヤーンを購入していた隣のタイ人おばちゃんに聞いてみると、丁寧に木をはずして教えてくれた。 にんにくが鶏肉の表面に沢山まぶし付け、木棒に挟まれられていて、調味料とともにそのまま焼かれている。鶏の首も顔も残っている状態。もしかして、ちょっとグロテスク?  一体いつに着くのだろうと思うゆっくりとした速度で列車はノーンカーイへ。結局予定より3時間遅れの11:00過ぎ、14時間を費やして田舎街の小さな駅、ノーンカーイ駅に到着した。

駅を降り立つと私たちを観光客と判断したトゥクトゥクの運転手が猛アタックしてくる。ラオスへの国境近くまでは、ナンダカンダ行ってもトゥクトゥクで行くしかない。結局一台手配し、国境を越える橋近くまで行った。タイ出国手続き後、メコン川に架かる国境橋を渡ってその数分後にはラオスの入国手続き。なんとビザ代で1,500バーツ徴収された。US30$である。高い… タイ人・ラオス人の商売人だけでなく、西洋人で大きな荷物を抱えたバックパッカー、小学校の先生なのに2ヶ月もの休暇をとって旅行に来ている韓国人女性、私たちのような日本人、様々な人々がこの国境を超えてラオスへ入国していた。
バンコク中央駅
(フォアランポーン駅)構内
ノーンカーイ駅
駅舎の前には旅行客を乗せる
トゥクトゥクが沢山待機中
ガイヤーン
(鶏の丸焼き)
国境には観光客や
商売人でいっぱい
ラオスの入国カード
裏面に国旗付き
ガイヤーン 1本(1羽)35バーツ (≒100円)

 12月30日(月) 昼・ブッダパーク
タイとラオスの国境・メコン川には数年前にできたばかりの「友好橋」という橋がある。この橋の建築はオーストラリアが援助したそうで、オーストラリアの国旗もここには飾ってあった。実は日本もこの橋を作りたかったようで、時の首相・竹下登がタイ政府にタイ政府らに働きかけたという歴史もある(竹下首相が話をしたときには既にオーストラリアで決定していたので、日本は結局一切関与しなかった)
橋を渡ってラオスに入国。入管から外に出ると再びトゥクトゥクの運転手がワッとよって来る。しつこい…。
次の目的地は、首都ヴィエンチャン。ここから25km位はなれたところである。大通りにでて右に行くと、ヴィエンチャンへ行き着く。しかし、左折をして7km位のところにあるブッタパークと呼ばれる所に寄り道がしたく、トゥクトゥクの運ちゃんと交渉。結局100バーツを払うことで合意。はっきり言って高すぎる。ブッタパーク到着後、トゥクトゥクの運ちゃんに100バーツ+チップ20バーツを渡した。このときのこのオヤジの笑顔といったら… 「あー、やっぱり日本人!!」とでも思っているのであろうかのよう。チップ渡さんでも良かったな…
ブッタパーク内にはその名の通り石の仏像が沢山並んでいる。中心には超でっかい寝仏。その寝仏が見下ろすように色々な種類の仏像が並んでいる。ここが面白いのは、仏教の普通の仏像だけでなく、なぜかヒンズーのちょっとマニアック受けしそうな像がゴロゴロとしていること。決して広い公園ではないが、確かに一見の価値はある所である。

入口の入ってすぐの所にはカボチャ型の石室があり、この中に入ってみると、この中にも仏像が並んでいる。かぼちゃの天辺に登ることもでき、窮屈ながら(私が太いだけ!?)登ると、上では袈裟をまとった小僧たちがいた。
近所の普通の子供たちもこの中で遊んでいて、カメラを向けると照れくさそうに写真に収まってくれた。デジタルカメラが珍しいらしく、とった写真をすぐに見せると想像以上に喜んでくれる。ここで味を占めた私はこの旅行中、「撮ったら見せる作戦」で以後ラオスの子供たちを沢山カメラに収めることになる。その写真は順次。 ラオスの子供たち、純粋で本当に愛くるしく可愛いですよー!! 

ブッダパークから、ヴィエンチャンまで約30km。ここの区間はバスが走っている。バスとは言っても小型のマイクロバスで勿論時刻表なんてない。道路でひたすら待つのが、ラオス・タイでは日常的な行為である。ブッダパーク前から乗ったバスは40分程かけて、ヴィエンチャンに到着。ここの区間は悪路ではなく、きちんとコンクリートで舗装されていた。マイクロバスには日本の国旗が張ってあった。良く見ると「JICA」の文字が。日本の支援で走っているバスのようである。1回の乗車1,500kip。日本円で16円程である。
首都ラオスの中心部。タイの首都バンコクとは打って変わり、静かでまだ何もない首都である。鉄道どころか、市内バスすら走っておらず、人々は歩くかトゥクトゥクに乗って移動するのが一般的だそうだ。その為、街中で見かけるトゥクトゥクの数はバンコクで見るよりはるかに多い。右写真、バンコクで言うスクムビット通り、大阪で言う御堂筋のような、ヴィエンチャンの中心をなしている道路のひとつ。確かに車の走っていない瞬間をカメラにはおさえたのであるが、本当に何も無い小さい街である。
ヴィエンチャンの街はメコン川に面した街である。
世界中全てがどこでもそうではないのかも知れないが、やはり首都には河がある。夕方、メコンの対岸に見えるタイの大地に夕陽が落ちるころ、ここの場所で一日を終えるラオス人や観光客は少なくない。川べりにはレストランも出ていて、ビアラオ(ラオスビール)を飲みながら、ゆっくり流れる大河を見ている人々がここにはいた。

 12月30日(月) 夜 ・ヴィエンチャン
ラオスに入国した、最初の晩。首都ヴィエンチャンの街中には、タイとまったく違い、料理屋台が殆どない。ラオス料理は、一昔前まで、市場に行かないと食べることができなかったそうだ。正直現在も、市内にはラオス料理を提供している店はハッキリ言って少ない。そんな中、最初に入った店は、クアラーオ。3年前、当時の小渕首相がラオスを訪問したときに、訪れた数少ない高級店である。この店は、ヴィエンチャンでもっとも大きいレストランの一つで、店内は外国人でいつも賑わっている。西洋人、東洋人、アメリカ人、タイ人etc…。この店には、ラオス料理セットメニューがありこれを注文した(→写真)。値段はUS8j。ハッキリ言って高い。高級店だから仕方ないか…。
そうそう、メニューに書かれている金額はラオスの貨幣単位「Kip」ではなくて「USj」。支払いは「タイバーツ」を含めた3種類から可能。ラオス国内では、この3種類の貨幣が普通に飛び交っている。ラオスの貨幣「Kip」は自国民にさえ信用度が低いためである。
ラオス人は、瞬時にひとつの値段に対するすべての貨幣での値段を言うことができる人が多い。例えば「2j」は「88バーツ」であり、「22,000 kip」である。(ちなみに日本円で約255円)。桁がバラバラで慣れるまではハッキリ言って外国人には大変である。ちなみにラオス人によっては、計算を簡単にするため、「2j = 100バーツ = 25,000Kip」で計算する人もいる。ここら辺は適当。
 失礼ながら、ラオスにも、自国生産しているビールがあった。その名も「ビア・ラーオ」。そのままやんけ!!と突っ込みたくなるほどのネーミングであるが、ラオスではもっとも多く飲まれているビールである。まぁ、ビールの質ウンヌンはここでは置いといて、ラオスで飲む「ビア・ラーオ」。この国以外ではなかなか飲むことのできないビールであろう。(ちなみにバンコクで売っているところを見たことはない。)
 
 タイのイサーン(東北)地方はラオスと隣接しており、ここの2つの地方は言葉が非常に似ている。「タイ語のイサーン方言≒ラオス語」なのである。ラオス人はタイ語を理解できる。私がタイ語でラオス人に話しかけてくれると、ラオス人は大方タイ語で返してくれた。それでも時々ラオス語で返してくる人もいたが、ラオス語とタイ語は何とか私にも聞き取れる程度の違いなので助かった。
つまり、イサーンとラオスは「言葉が似ている=文化が似ている=料理も非常に似ている」、という事でラープやサイウアなどはタイでもよく見かける料理である。黒いもち米もタイでは「カオニィアオ・ダム」という名前でイサーン地方にはある米である。若干呼び名が違うが、まぁ似ている。カオニィーオが入っている籠は、もち米の通常の食器である。この2つの地方の主食はもち米。通常米は存在してはいるものの、あまり食べられていない。バンコクでは、籠が汚れないようにするためや、食べる人の心理状態から、この籠にビニール袋をかけてカオニィアオを入れて供されることが多いが、ここら辺一帯では、そんなことはせずに、直接籠入れである。このもち米、英語ではStickey Riceと呼び名がついている。
 
ビーア ラオ
(ラオス・ビール)
サイ ウア
クゥエング

(ラオス・ソーセージ)
ラープ ムー
(豚肉の香辛料サラダ)
カオニィーオ ダム
(黒もち米)
 ジェオボンというのは魚を原料に作った辛子味噌を温野菜につけて食べる料理。タイのナンプリックと同じようなものである。味噌はとても辛くてしょっぱい。注文して出てきたのはお皿に乗った大量の“味噌”と“茹でた野菜たち”。どうやったってこの野菜の量で、この味噌を食べきることは不可能で、なぜこんなに大量の味噌が出てきたのかは不明のままであった…。

 バンコクのスープとラオスのスープ。食べた感じで何が違うかと比較したとき、ちょっと主観が入るが、まずそのスープに使っている香草類が違う。タイが香りと共に刺激のあるものを良く使うのに対して、ラオスは香り高きスープを作っていると感じた。『パクチー』といえばタイでは「香菜・中国パセリ」の事であるが、ラオスでは「ディル」のことである。まったく異なる二つの野菜。国を超えると全く同じ名前なのである。  
ジェオ ボン
(茹で野菜と辛子味噌)
オーラム ガイ
(鶏肉のスープ、
ラオス北部風)
レストラン「クアラオ」の料理最終回

 カイクワムは解説をしようにも解説しづらい料理である。ゆで卵に衣を付けて揚げただけ。衣には重曹が入っているのか、フワフワしている。中国料理にこのような揚げ衣を見たことがある。
 
 ガイホーバイトゥーイは以前にもここで紹介したことがある。バイトゥーイという香り高い葉っぱに味のついた鶏肉を包んで揚げてある。美味しいのでは有るが… 食べづらい。葉っぱは結んである上に揚げであるので固くなっていて、そう簡単には外れない。手で取ろうと思うと、手が油でベトベトに必然的になってしまう。んー、何か良い食べ方は無いのだろうか?といつも思うが、いいアイディア浮かばず。今回結局、手を汚しながらもバイトゥーイを外していた私であった。
カイ クワム
(茹で卵揚げ)
ガイ ホー
バイトゥーイ

(鶏肉のバイトゥーイ
包み揚げ)
 ヴィエンチャンには屋台が無いとは以前に書いたが、それは、タイのような食事屋台がないと言うことであり、数は少ないものの、おかずを売っている屋台は存在している。
街中を歩いていたら、厳重にバイトーンの葉で包まれた物を発見。早速一つ買ってみた。何か良く分からないまま、宿泊したゲストハウスの部屋で開けてみると… 「ぷぅ〜ん」とにんにく、塩漬生肉、そして唐辛子のちょっと怪しげな匂い。これはもしや… 年に数人がこれを食べて死んでいるという“噂の生肉のネーム!?”(この地方の独特生肉ソーセージ) と思い、瞬時に一切れも食べることなく再びバイトーンの葉っぱで匂いが漏れないように厳重に包み直していた私であった。
ソム(?)
(ネーム・ラオス風ソーセージの一種)
ソム 2,000Kip (≒23円)

12月31日(火) 朝 ・ヴィエンチャン
  ヴィエンチャンで迎える最初の朝、ヴィエンチャン観光をすることなく、今回の旅行最大目的地“ルアンパバーン”を目指すべく、北部行きのバスターミナルへ。まだ朝6:30。ルアンパバーンまでバスの予定は約10時間。出発予定は朝7:30の予定。到着は17:00頃である。今日は丸一日バス旅行である。
バスチケットは直接事前にバスターミナル内のチケット売り場で購入。カウンターには、中国南部の都市の名前や、フエ、ハノイなどベトナムの地名も書いてある。大陸続きの国家。当然バスで国境を越える人々もここにはいるということである。

 飛行機に乗って移動するなど、この国の人々にはまだまだ考えられないことで、バスでの長距離移動は普通である。物資の流通もこのバスに頼られているのが現状で、地方行きのバスの屋根上には家財道具、雑貨、食料からバイクまで次々とギッシリになるまで詰め込まれていた。この旅行に同行していた知人がこの様子を見て分かりやすい形容をしていた。「宮崎駿の世界…」。まさにその通り、ピッタリ!! バスはさながら「猫バス」のごとく。 

 バスターミナルからは名前の知らない都市に向けて引っ切り無しにバスが出発していく。都市の名前は決して同じではない。バスに積載する荷物を運び込むためのトラック、バイク、トゥクトゥクも次から次へとやって来る。日本も昔はこうだったのかなーと知らないながらも勝手に想像してみた。タイでもあまり見かけない光景のような気がする。長い鎖国状態が続いていたラオス(ここら辺は後々詳しく紹介)。隣国タイとはやはり違う国なのであると実感。

 下記の朝食をとった後、バスに乗り込んだ私たちは、やはり予想していたことが起き、大して驚きもしなかった。「予定出発時刻はかなりおすであろう…」と予想していたのである。結局バスがルアンパバーンに向け出発したのは8:30。やっぱり一時間遅れ。さてさて、何時に着くことやら。果たして明るいうちにルアンパバーンで宿探しができるのか。大晦日なのに、宿も取らずの旅。どうか、無事に新年を迎えることのできますように、と僅かばかり祈ることしかできなかった。バスには、地元ラオス人と共に西洋人バックパッカー野郎がチラホラ。日本人はやはり私たちだけであった。ルアンパバーンまではヴィエンチャンからだけではなく、バンコクからも直行の飛行機が一応飛んでいて、普通の日本人はこれを使うのであろう。

ちなみにバス賃(VIPバス) 200バーツ、570円也。
飛行機はヴィエンチャン-ルアンパバーン片道2,622バーツ、6,320円。
ラオス国内では幾種類かの麺料理を食した。これはその第一弾。バスターミナルに併設されていたこの店には、これからバスにてどこかへ行くのであろう人々が、熱い朝食をひたすら食べ続けていた。スープは基本的に鶏がらのアッサリ系。麺は、ビーフンというより日本のうどんに近いものがある。
左の表がメニュー。
この料理は3番。1番〜6番までが麺料理、6番〜12番はコーヒーなどの飲み物である。ラオス文字はタイ文字と若干似ているので、強引に読めばなんとなくラオス人は理解してくれるが、一般タイ人でさえこれを全て読むことはできないようである。私の客観的な感想であるが、ラオス文字のほうが、タイ文字より丸みが多く、可愛い。ただのフニャフニャ文字ではあるが…
カオ ピヤック
(ラオスの米麺)
カオピヤック 5,000Kip (≒20バーツ≒57円)

 12月31日(火) 昼・バスの中 (ヴィエンチャン〜ルアンパバーン)
朝8:30にヴィエンチャンの北バスターミナルを発車したバスは1時間ほどで、ラオス険しい山道の中に入っていった。もうここからはスゴイ、スゴイ急カーブの連続でまさに山越え。それが、ルアンパバーン到着までの間ずっと続いていくので、バスの中で寝ることは現地人でもない限り不可能に近い状態。またその現地人、つまりラオス人の一部はどうも乗り物酔いが激しい民族のようで、あっちでゲーゲー、こっちでゲーゲーでこれまた凄い。

そんな山道を走り続けれること2時間。昼どきにある村に停車。村人にここの村の名前を聞いたのであるが、持っていた地図にもここは載っておらず結局、現在地が分からない。何にも無い。唯一、ちょっとした食事ができる所があり、ここで昼食タイムとなった。ところが、乗り物酔いしないはずの私もちょっとだけ気持ち悪く、ここでは食事をする気にはならず、みかん4個だけ購入し、これとヴィエンチャンで買ったお菓子をバスの中でかじっていた。(それでも結構食べていた、という噂もあるのであるが…)

道路は山の中の通過する村を越えると次の村まではまったく何も無い。村とはいってもとても小さく、部落といったほうが正しいかもしれない。所によっては、200年以上昔の日本のような原風景のところもあり、決してそこでは停車することの無いバスの窓からその風景をボーっと眺めるだけである。

いくつ山を越えたか分からない、いくつのゲロを見たかも分からない、16:30。予想していた時間より2時間早く、ルアンパバーンのバスターミナルへバスは到着。
とりあえず今夜の宿を探さねば…

 12月31日(火) 夜・ルアンパバーン)
「ルアンパバーン」は昔、ラオスの首都だった時代がある。僅か50年ほど前まで、ラオスが二つの国に分かれていたときも、この街はルアンパバーン王国の首都であった。ガイドはブックには「ラオスの京都」と記載され紹介されている。街の中には寺が非常に多く、さながら京都のようである。
街全体がユネスコの世界遺産に登録されたこともあってか、街には沢山の観光客を見かける(西洋人・日本人が殆ど)。  山の中の小さな街であるが、街の中心ストリートには西洋人向けのオープンカフェがあったりと不思議な魅力もある街である。
とは感じてはいたものの、なかなか肝心の宿が見つからない。大晦日なので、多少は覚悟していたが、何軒ものゲストハウスを回って聞いてもどこも返って来る答えは「Full !! テム・レーオ(もう、いっぱいですよ)」。川沿いのゲストハウスにしたかったでのあるが、12,3軒回った所で川沿いをあきらめ、少し街中に入ったところでやっと今日の宿が確保できた。一泊一室US18$(一人US9$)。かなり高い部類の部屋であったが、もう諦めるしかなかった。荷物をほどき、整理していたら辺りは一気に暗くなっていった。
夜、メインストリートではロウソクを立て、その明かりで、布や小物を売る店が出ている。きれいではあるが、ロウソクが倒れて、もし火でも着こうものなら危ないよなー…  
 街の中心部に「トムナック・ラーオ」というラオス料理屋があった。客は100%外国人。この街には地元民が食べにいく料理屋ははっきり言って少ない。初日はとりあえず外国人の行く店に外国人なのだから行くことにした。
 オーダーをして料理を食べ始めたことであろうか… 急に店内の証明が暗くなり始め、何事かと思った瞬間、店員が店のブレーカーを落とした。その瞬間、外の電柱にかかる電線が「バチッ、バチッ」と言う音と共に緑の閃光を放ちショートしている。供給されている電気の電圧が不安定なのであろうか、周辺の店、全てがブレーカーを落とし、人は沢山いるのに辺一帯真っ暗闇になった。結局この電気は復活せず、店員はすぐに各テーブルへロウソクを配りその明かりだけで食事をすることになった。
 ロウソクの明かりだけで食べる二人っきりのラオス料理。これがまた、相手が女性だったらまだしも、今回は男同士だからなー… 
 さて料理は2品。“ルアンパバーン・キャッセロール”という名前のついたこの料理。“キャッセロール”とはフランス語で「鍋」という意味である。鶏肉を今回選択したが、それ以外にも、ラオスの野菜や香草が沢山入っている鍋料理。
 ソーセージはタイのイサーンからラオス地方ではよく見かける一品である。今まで何ヶ所かでソーセージを食べてきたが、ここのソーセージはかなり美味しかった。中は粗引きの肉と香辛料でいかにも手作りという感じのするソーセージである。 
ルアンパバーン
キャッセロール

(ルアンパバーン鍋)
サイ・ウア
(ソーセージ)
ルアンパバーンキャッセロール 15,000Kip (≒60バーツ≒171円)
サイ・ウア 12,000Kip (≒48バーツ≒137円)
大晦日の夜、年が明ける直前に、ルアンパバーンの街の横を流れるメコン川の畔へ行った。ラオスの正月は4月のため、今日を年越しとして騒ぐ地元民はあまりいなかったが、対照的に外国人だけが集まって騒いでいるところがあったので潜入した。ラオス人の中にも騒ぐのが好きな人は、観光で来ている外国人と共に飲んで踊って騒いでいる。
 あるラオス人のオッちゃん(左写真)なんかはラオスの焼酎「ラオ・ラーオ」と一杯のグラスを片手に次から次へと外国人へ酒を飲ましている。このオッちゃん自身すでにかなりの酔っ払い。写真に写っているドイツ人結構ヤラレていた。どこの国でも、酔っ払いは酔っ払い。
新年の挨拶はラオス語で「サバイディー・ピー・マイ」。ラオス語、英語、フランス語で書かれた看板を何ヶ所かで目にした。


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