Let's cook Thailand

バンコク・一言日記 (過去分) 
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2月27日(日) 気候が変化している、と日記(↓参照)に書いた翌日(24日)… 
私の体調も劇的な変化の兆しをみせ、見事に久しぶりの風邪を引いてしまった。喉からやられて、目の充血、鼻水とまるでNHKのニュースで見る花粉症そのもの… この時期、風邪を引いているのは私だけではなくタイ人も一緒であった。
ヤッパリ、タイでも『季節の変わり目』、発見。  
ちなみに私は既に回復済み。 Let's cook Thailandの更新が相変わらず止まっていました。スイマセン。
2月26日(土)
2月25日(金)
2月24日(木)
2月23日(水・祝) 〔写真・サイアムに沈む夕日〕
関東で春一番が吹いたと言うニュースを耳にした。花粉の飛散も始まったとの事。タイには花粉症という病気は基本的に無いようである。 
日本の気候も一気に春めいてきたが、バンコクもここ数日でどこと無く空気の色が変わった気がする。
乾季でここ数ヶ月はまず雨が降ることが無かったが、朝なんとなく雨の降りそうな天気になったり、夜、強い風が吹き始めたり。 
そして気温も徐々に上がってきて、日中の最高気温は35℃を超えるようになってきた。あと一ヶ月もすれば本格的な雨季、暑季の到来である。ふ〜・・・
2月22日(火)
2月21日(月)
 タイという国にも、一応「著作権」というものが存在しているのだが、それを無視した製品がこの国では世に広まることが往々にしてある。
この度の津波は、タイ全国民に多大なるショックを与えたが、早速これを個人で記録保管しておこうと、ニュース映像やカメラ映像などを違法録画及び編集をして、著作権無視の津波VCD(ビデオCD)が街中で発売されている。
当初プーケットで売られていたそうが、アッという間にバンコクにもやって来た。
勿論コピー違法商品で、本来はあってはいけないもの。相場は一枚150バーツ前後。
中身は、前述の通り、延々と各地で撮影された津波の映像やニュース映像がとことん録画されている。 
左の写真は、このコピー商品のパッケージ。きちんと作ってあるところがなんとも…。
2月20日(日)
2月19日(土)
2月14日(月)
  2月18日(金)
私の両親が初海外でバンコクに旅行に来た。私もこの期間中仕事を休み、一緒にバンコク近郊を観光してきた。
実は、バンコクに移住して3年弱、私自身も殆ど「観光」らしき事をしてこなかったので、そこそこ楽しみながら観光をした。
まぁ、ヤッパリ観光地は観光地で、どこもそこはタイかと聞かれれば「タイではあるけれど日本人が行ける“タイ”」と言う気がしなくも無いが、なるほどこういうタイもあるか、とタイを再発見も出来た旅でもあった。

(←写真 アユタヤで象に乗っている私の両親、後ろから隠し撮り撮影)
2月13日(日) 実は、14日の夜から4泊で私の両親が人生初の海外旅行でタイに来る。
父は仕事上、飛行機(国内線だが)に乗ったことはあるものの、母は女50才(バラしました、御免!!)にして人生初の飛行機。一体どんな珍道中になることやら… 
バンコク・ドンムアン空港で果たしておち会えるのか!?  それ以前に成田空港を無事に出国できるのか!? こちらとしての心配は積る一方なのであるが、まぁ何とかなることを祈るのみ。(パスポート忘れないでね…) 
両親のバンコク滞在期間中は、私も本業をちょっと休み、初のまともな観光をしてみることにした。色々と検討した結果、旅行会社のタイ人ガイドによる日本語ガイドツアーを選択。私もいち観光客に変身決定。
「バンコク市内観光(ベタな寺めぐり)」、「水上マーケット」、「ローズガーデンで象のショー」、「アユタヤの遺跡めぐり」などなど…  とりあえずの王道を行って見ます。
普通にバンコクで生活をしていると“身近な観光地”ほど程遠い存在は無いので、いい機会かも。 
    ……という訳でLet's cook Thailandの更新もまたまた次週末まで必然的に止まります。ご容赦を。
2月12日(土)
2月11日(金)
2月10日(木) 今回の選挙結果であるが、やはりタクシン首相率いるタイ愛国党(タイ・ラック・タイ)の圧勝(単独政党での半数獲得)であったようである。 先日の日記に掲載したチューウィット氏はまだ選挙結果が確定はしていないものの、小選挙区では敗退したものの、どうやら比例区で当選しそうな感じである!!
実は今回の選挙前に、バンコク市内でのテロの噂もちらほらと聞こえていたりもしたが、幸いに何も発生しなかった。
しかし、相変わらずタイの深南部でのテロは収まる気配も無く、タイ愛国党も南部では第二党の民主党に惨敗であった(愛国党僅か1議席のみ、民主は50議席)。タイ北部と東北部では愛国党圧勝だっただけ(200議席獲得、民主は8議席だけ)に、この国の政治分断化は明らかである。

[附録]
私の知人で現在、在ネパール日本大使館で料理人をしているO氏より下記のメールを頂戴した。
ネパールは現在政局が不安定になっており、外務省も現在渡航を控えるように通達を出している。
緊迫している様子が、この頂いたメールから垣間見えた。

2月1日
朝8時。大使館から大使に電話があった。「今日、午前10時に、国王の演説があります」
2月3、4、5日に反政府武装組織によるバンダ(交通封鎖とすべての商店が営業停止)ということで、急いで買い物をすませ、戻ってくると、何故か待たせておいたタクシーのまわりに人だかりが。朝10時ちょうどの出来事だった。すべての報道機関、テレビ、ラジオ、新聞など、一斉に規制がかかった瞬間だった。
「内閣を解散し、新たに内閣を指名する」
この、ギャネンドラ国王の一言で、すべての国民が政治に参加することができなくなった。
非常事態宣言発令。

2月2日
国際及び国内線の空港が閉鎖。電話全線不通。郵便局はもちろん、公共の乗り物などすべてが営業中止。
大使館より警備専門官の方が説明に来た。
「外出禁止令が出る可能性が高いです。現在ホテルに宿泊している日本人の要人の方を公邸に移す事になるかも知れません」
無政府状態。

2月3日
王様が指名した新内閣発足。
デモ行進が起きているようだが、全く情報が入ってこないのでわからない。もちろんケーブルや衛星テレビも全て停止させられている。いつもならアメリカのCNNをはじめ、インドやイギリス中国の番組などが見れるんだけど、全く映らない。
自室の窓が、低空飛行をするヘリコプターで割れそうなほど音をたてる。どうなるんだ。

2月4日
公邸で予定されていた設宴(パーティー)がキャンセルになった。外へは出ないようにと言われているが、ちょっとのぞきに行ってみた。一見、全くふだんとかわりがないようだが、軍やら警察やらがやたらと多い。
交通の多いところでは、戦車みたいのが停まってた。空港が再開。

2月5日
電話が一部地域で使えたと言う情報がはいってきた。が、ここは使えないのでわからない。
衛星放送が復活。皆、イギリスのニュース局に見入る。もちろんネパール情報。夜8時、電話がかかってきた。
「やっとつながりましたか」大使館からの電話だった。

2月6日
朝、受話器をあげても音がしなかった。どうやら、外出禁止令は出ないだろうと言う事をみんなが言いはじめた。確かに一般の人は普通に暮らしている。何も変わっていない。

2月7日

国内通話全線復旧。インドなど海外に住むネパール人がデモ。

2月8日
国際電話、インターネット復旧。

2月9日
簡単だけど、こんな感じでした。北朝鮮戦見たいよー。
なんでためしてガッテンなんかやってんだよ〜、NHK。
2月9日(水)
2月8日(火)
2月7日(月)
2月6日(日)
2月5日(土)
2月6日(日)はタイ全土で下院総選挙が行われる。投票時間は朝6時〜午後3時まで。
タイでは選挙がある際、前日の夕方から選挙当日の夜12時まで一切の酒類の販売と飲酒を法律で禁じられている。法律に反した場合は、逮捕させられる(本当か??)という話でもある。今回は5日の午後6時〜この法律が適用されていて、街中からアルコール類が一応消えた。
選挙の際、アルコールが禁止されるのは、暴れるのを防止するのと、きちんと選挙に行きましょうとの、なんだか幼稚な理由と聞いたことがある。そこら辺がやっぱりタイらしい…
それにしても投票が終了して(午後3時)から9時間(夜24時まで)も禁酒にするのは何故なのであろうか?

5日からコンビニ(7-Eleven)のドリンクが入っている棚は、清涼飲料系が当然ながら売られているものの、ビールの棚の所だけにダンボールで形だけの目隠しがされていて、販売されていない。(左上の写真。)
下の写真は、そのダンボールに手書きで書かれていた告知文。
“アルコール飲料の一切を5日の18:00から、6日の24:00まで販売いたしません”
と書かれているが、手書きで、しかも字も汚い… 
なんだかね〜… 
天下のセブンイレブンなんだから、もうちょっときれいな形で、目隠し及び告知文を出して欲しい気もする。



右上の写真の人物は、今タイの政治界でのちょっとした有名人。元バンコク風俗王のチューウィット氏である。
一年前、巨大バーの全壊事件を起こして、主犯として逮捕された後、容疑者の身でありながら警察への莫大な賄賂を暴露し、日頃から警察の黒い部分を嫌っていた民衆の心をつかみ、その後昨年末にバンコク都知事選挙に立候補して、なんと得票第3位にまでなってしまった凄い人。
勿論3番目では都知事選落選だったものの、ヤッパリ今回の下院選でも立候補してきた。
街中のポスターでは、他の候補者は笑ったり、真剣な顔をしているごく普通のものなのであるが、チューウィット氏の物だけが、ユーモアで迫力のあるポスターが多い。
[1]の数字はこのチューウィット氏が所属しているチャート・タイ党の選挙番号。
ちなみに、おそらく選挙で一番の議席を獲得するであろう、タクシン党首(現・首相)率いるタイ愛国党は[9]番である。
果たしてチューウィット氏は本物の政治家になれるのか!? 私(わたし)的な一番の注目点である。
2月4日(金)
2月3日(木)
2月2日(水)
2月1日(火) おかしい。 ヤッパリおかしい… 
何がおかしいって、別にバンコクの天気でも、今度のタイ総選挙の事でも、今日見かけた道端の野良犬の事でもないのであるが・・・ ン〜おかしい。
何がって、「私の体重」が、である。 なんだか増加率がヤケに高いのである。 この2ヶ月位で一気に体重増加をしてしまった。
しかも年が明けてからたった一ヶ月で3k増。 しかも戻る気配はなし。
食べすぎか… ヤッパリ遅い時間に暴飲暴食は良くないと、今更ながら反省。(←遅い)
1月31日(月)
1月30日(日) BTSチットロム駅の隣に、バンコク電気局がある。 そこの敷地内にある看板。いつも毎日見ていた看板であったが、マジマジと見たのは今日が初めて。
電気を使わないアイロンの写真と共に、下記のように書いてあった…
“すごいヒット(商品) …最近の”
[お爺さん・お婆さん達はスゴイ商品を開発していました。私たちも今日から電気を節約するように心がけましょう]
なるほど、節電を呼びかける広告であった。
1月29日(土)
1月28日(金)
1月27日(木)
1月26日(水)
1月25日(火) BTSスカイトレインの次駅を知らせる車内アナウンスがちょっと前から変わった。
今までは日本の鉄道等と一緒で、実際に乗っている車掌(運転手?)の声がスピーカーを通して「次は○○駅〜」と言っていたが、現在では、女性の録音された声で「Next Station ◇◇.〜」とアナウンスがされている。
しかし、録音テープのコントロールをしているのは、やはり車掌のようで、録音テープの再生ミスがいつまで経ってもなくならない。例えば、到着した××駅で「次は…××駅〜」等の単純ミスのアナウンスを未だによく耳にしたりする。
まぁ、マイクを通して直接次の駅を案内していた以前も、先ほど通過したはずの駅を「次は…駅」とアナウンスして、勝手に電車を逆走アナウンス(!!)していた凄いことも私は経験した事があるので、テープの再生ミス位はナンとも思わないが…。 バンコクのBTS車内もやっぱりタイだった。
1月24日(月)
1月23日(日) 時事通信のニュース写真から、転載。
津波の被害を受けたプーケットで、早速津波のTシャツが販売されているそうである。
絵柄は葛飾北斎の有名な波の絵。 この商魂、いかにもタイ人らしい… 
でも、この津波シャツ、着る場所を考えないと相当な反感を買ってしまいそうである。売れるのだろうか…? 
まぁ、アメリカの同時テロの直後にも、ウサマ・ビンラディンvsブッシュ大統領のTシャツを道端で売っているような国だから、今回もマイペンライなのであろうか…
1月22日(土)
1月21日(金)
1月20日(木) 日本から、知り合いの方がバンコクへ休暇旅行に来られた。
年に2〜3度遊びに来られていて、今回も沢山の「日本のお菓子等」をお土産で頂戴。 
アリガタヤ、アリガタヤ… (→写真・日本のお菓子ってヤッパリ凄い)

この方、今回のバンコク旅行の一つの目的で、“昨年開通した地下鉄に乗る”という計画をずっと前から立てられていたのであるが、見事バンコク入り前日に、例の事故が発生してしまい、“運行停止→乗車できず”、になってしまった。 
なんというタイミングの悪さ。 またの次回旅行時にでも・・・。
1月19日(水)
1月18日(火)
1月17日(月) ニュース等で既存の事とは思うが、バンコクの地下鉄で、なんと衝突事故が発生した。
開通前から、一部の間で「絶対何かの事故が一年以内に起こる!」 と言う噂が立っていたが、その通りになってしまった。
完全な人為的ミスでの事故と発表されているが、やっぱりタイ的な人為的なミスだったようで…
一週間以内に復帰させることを前提に、原因が完全に分かるまで無期限での運行停止との事である。
1月16日(日)
1月15日(土)
  

つい、先日BTS・スカイトレイン、チットロム駅〜サイアム駅までの高架下に直通の歩道橋が開通した。
上左の写真はその歩道橋。高架下であり、もちろん屋根つき。 Sky Walkと呼ぶようである。

下左・写真はその概容。上2本のコンクリートがBTSの線路。手前がチットロム、右奥がサイアム方面。その下の灯りがある所がSky Wall。 歩道橋の下は、道路である。

途中、セントラルワールドプラザと新しく出来たセントラルワールドと言う名の高層オフィスビルへ向かっての歩道橋も現在建築が進んでいる。(写真・下右)
1月14日(金)
1月13日(木)
1月12日(水) バンコク市内、ちょっと路地裏に入れば、違法建築だらけの建物が並んでいる箇所も少なくない。一たび火災や、災害が起きると、いとも簡単に大災害となってしまう。 
9日、バンコク市内の某所で違法建築で建てられた建物が火災になり、火災発生後に建物が簡単に崩壊し当局者7人が生埋め、死亡という事故が発生してしまった。
直ぐに首相をはじめバンコクの都知事も違法建築の取締りを強化する、としていたが単純にも疑問を抱いてしまう。
数年前、東京・歌舞伎町のビル火災で40数人が亡くなった火災が日本でもあったが、バンコクにも「とにかく密集・一本だけの通路、上層階への階段・燃えやすい古い建物」の条件が揃っている建物は素人目に見ても多く見かける。
天災ばかりは防ぎようの無い物もあるだろうが、簡単に防げる災害もあるとは思う。 
いい加減、タイ人のこういうマイペンライ(大丈夫だよ)精神はやめて欲しい。 
1月11日(火)
1月10日(月)
1月9日(日) 私がバンコクに来てからの3年の間にも、この街は急激に変化をしている。
三年前、全く右も左も分からない私のような日本人にとって、いきなりの移住ではちょっと辛い所の様に感じたが、今ではあまりそんなことも感じないらしい。
単身で来た人には、生活をしていく為の必要なことが簡単にネットで検索できるようになったし、体験談を細かく個人サイトの日記で書いている人も数多くいる(私の日記より遥かに凄い)。
食事だって観光客でも日常食が簡単に出来るよう、清潔なフードコートや、屋台食の本が発売されたりしていて、工夫がされているように感じる。 それらを取り扱ったネットのサイトも本当に充実してきた。(“Let's cook Thailand” 危うし!??)
仕事で駐在に来た家族も、買物から、タクシーなどの移動手段まで、生活する為の幅が僅か数年で一気に広がって来ている感じがする。
ソイ・トンロー(スクムビット・ソイ55)には、先日「J-アベニュー」という、いかにも日本人を意識したような中規模ショッピングセンターが出来た。日本料理屋から、タイマッサージ、スパ、喫茶店、スーパーマーケット、日系本屋まで入っている。日本料理屋もバンコクに前々からあった「菜の花」という大阪料理屋だけではなくて、ラーメン屋のaa、日本でチェーン展開している「メシ処の大戸屋」まで進出してきた。 バンコクは本当に日本人にとっても過ごしやすい街であるのは間違いない。
1月8日(土)
1月7日(金) 2月6日(日)はタイ全土で、下院の総選挙が行われる。前日の5日から丸二日間は全国で酒類の販売禁止及び禁酒になるので、この時期にタイ旅行を計画されている方は注意!!
1月7日の朝には、バンコク市内の某所で総選挙に向けた予備抽選(選挙時に使用する党の番号決め)があった。タクシン党首(首相)率いる、タイ愛国党はタイ人の間で一番縁起がいいとされる「9」番を見事に引き当てていた。タクシン首相のこの強運、凄い…
これから、街の至る所で党番号の書かれたポスターを多く見かけることと思う。

←写真は、携帯電話の会社より送られてきた、ショートメール(SMS)。
内容は “81133に1回電話をすると、通話利用無料で9バーツの義援金が災害に遭った南部の人たちに届きます”といったもの。

1月6日(木)
1月5日(水) タイに旅行で来る人たちは、タイに着いた瞬間、どんな感覚を受けるのであろうか?
21才の時に新たな自分の居場所として「タイ」を選んだのであるが、行ったことも見たことも無かった「タイ」を何故選んだのかは、はっきりと覚えていない。ただ、3年前バンコクのドンムアン空港に初めて降り立ったときの感覚は今でもはっきりと覚えている。全く読めないタイ文字が羅列してある看板。タイ独特の空気と雰囲気。
空港の照明の色のせいだけではないであろう、初めて感じたその空気は、黄土色の色がついている気がした。熱帯の空気の匂いもまた、初めて感じる匂いであった。 

今回のプーケット・パンガーなどを襲った大津波で、タイ旅行に来ていた多くの外国人たちが命を落としてしまった。その数、行方不明者を含めて1万人以上とも。そのうちの大半が欧州からの旅行者であったという。EU諸国では5日正午の時報と共に欧州全土で3分間もの黙祷が捧げられた。 
欧州の人にアンケートをとると、「タイ」はアジアの中で旅行に行きたい国のNo.1になるという事実がある。日本人もタイには多くの人々が旅行で来るが、遠くヨーロッパからもその数は少なくない。
そして、欧州の人々にバンコクと同様人気なのが、プーケット周辺であった。 皆、欧州で感じることの出来ない空気と雰囲気をタイに求めて来ていたのであろうか。
突然の天災はあまりにも悲劇である。しかし、タイでは地震発生から津波到達まで2時間の時間があった。何千人もの人が助かったであろう2時間であったのは間違い無いはずなのだが。
それもまた天災以上の悲劇であった。
12月29日(水)〜
   1月4日(火)
タイは半旗が掲げられたままの新年を迎えてしまった。 
年末年始の祝賀行事は大半がやはり縮小または中止された。
今回の津波はタイ人にとっても深いショックで、バンコク市内にもあちこちで義援金を呼びかける箱が設置されている。
このLet's cook Thailandのサイトにリンクしているサイト(Om Mani Pedme Hum)の作者で、私の知人はこの津波のときプーケットにいたそうである。幸いにも津波の難は逃れたが、彼女のサイトにはそのときの様子が克明に書かれている。


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