Let's cook Thailand

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2007年2月
8月18日 いや~…本当にスイマセン。(-人-)
しばらく(2ヵ月ほど)サイトの更新、お休みいただいていました。

言い訳はさておき、ぼちぼちと再開します。
今後も
・「タイでみつけた変なもの」
・「タイでの食事」
・「タイ東部の日本人街・シラチャでの生活」
・「四方山話」等 色々と、ぼちぼちと掲載していきたいと思います。


早速・・・ 先日バンコクの某病院の風景より。

某インターナショナル病院で有名なB病院のキャッシャー&薬局窓口にて。

正面にある液晶TVで映っていたのは…


なぜかアメリカのプロレス。
…苦しんでます。
・・・痛そうです。
。。。叫んでます。

まぁ、気にしなきゃいいのだが…。
病院でなにもこんなプロレス流さなくてもねぇ。

それと、もうひとつ。
こちらは写真を撮れなかったのだが、別の某病院の路上広告で
「運転中に携帯電話を使用するのはやめましょう」という広告を発見。
そして、その広告下段には「By B病院 TEL 1171」との記載。

なんで「運転中に携帯使うのは止めましょう」なのに、病院の電話番号が入っているのだか?
くどいようだが病院の広告。
「運転中に携帯使って事故を起こしたら、是非我々の病院へ!」 なんですかね。 さすが商魂たくましい、バンコクの私立病院。
6月20日  今月中はちょっと本業でばたばたしている日々が続いており、なかなか更新ができていません。ご容赦のほどを。。。

 さてさて、何かと仕事などで大きな問題が起きたとき、その問題の「犯人捜しより」も「なぜそうなってしまったのか?」「次はどうして行ったら問題は発生しないか?」を考えるほうが大切だと私は常々思っています。

 しかし、毎日毎日問題は発生します。しかも予想外の事ばかり。
(確かに予想できていた問題なら未然に防がなくてはいけないはずなのですが…)

 タイ人の感覚と日本人の感覚で異なる部分は沢山あります。
どちらが良いとか、優れているとかいう問題ではなく、文化の違いから派生する部分もあります。

 私なら日本の感覚で、タイ人ならタイの感覚があります。当然です。ただし、得てして仕事上ではどうしてもその感覚が大きくぶつかる時があります。
 そんな時、日本人(私)が一番陥りやすいのが、感情で怒ってしまうこと。よくないですね。なんの問題の解決にもなりません。かえって逆効果になりかねません。

 こういう時は理屈を盾にして話し合いをしなければなりません。

そして、今日タイに長い日本人に教えられたのが、この標題「どうしても怒りたいときは、笑って叱れ」。

納得です。。。
6月14日  チョットした会場でパーティーなどを開くとき、そのステージの後ろについている「プレート看板」。
 素材は「布」であったり、「ビニール」や「プラスチック」であったりと色々と見かけるが、タイのパーティーで一番多く見かけるのがこの「発泡スチロール」。
 発泡に直接文字を書き、場合によってはその文字の形に発泡をカットしてステージ後ろの壁に直接ピン止めなどがしてある。

 なーんか、いまいち安っぽい気もしなくもないが、手軽に時間もかからずに制作できる。

 どんなに上のクラスの人が来ようと、その会場にはこの発泡の看板が取り付けてあることが多い。 日本でもニュースなどでタイでの記者会見の様子や大臣クラスの会談といった映像が流れているが、大概その後ろにはこの発泡製のプレートが…  うんん~~っ…
5月31日

 プノンペンには、「ワット・プノン」という寺がある。(ワットは「寺」の意)

 カンボジア政府観光局のホームページより下記、転載。
 この街の名前はペン夫人がワット・プノンをここに建立したことに由来している。この地に遷都したポニャー・ヤット王の遺灰が納められており、その南側にはペン夫人を祀った祠がある。



 ここの寺は、いわばこの街の中心で、常にカンボジアの人々が絶え間なく参拝に訪れている。外国からの観光客も多い。
 入場料は施設使用料の名目で、外国人のみ「1$」。カンボジア人は無料。
 タイと同じくやっぱりこの国にも「外国人価格」が設定されていた。
 まぁ…仕方ないと言えば仕方ないか。。。
 
 入口で1$を払って、境内の階段をのぼり、本堂に向かうと…
 最上部でなんと別の人間が、「入場料1$!!」と言ってきた。 まさか、二重徴収の罠が仕掛けてあるとは…

 もちろん、こういうことは断固拒否。 


 ↑境内には他の寺では見かけることのない、女性の像が祀られている。この像がペン夫人。
 1372年、このペン夫人がメコン川岸に流れ着いた流木のに仏像が隠されていたのを見つけてこの地に祀り、次第にここが「プノン寺(=丘の寺)」と呼ばれるようになったのがこの町の名の由来になったとのこと。(地球の歩き方より)
 決して大きくはない寺であったが、600年以上民衆によって信仰されてきた重みのある寺であった。

 二重徴収のワナを含めて、たかりが多いのにはチョット参ってしまったが…
5月26日
カンボジアの交通。その2。

プノンペン市内の住宅地を散策していたところ、突如明らかに過積載状態のトラックを発見!

ゴミのように積まれている物体の正体は自転車!!
カンボジアの地方にでも中古の自転車を運ぶトラックなのであろうか?

…それにしても、気になったのは、このトラックについていた「初心者マーク」。

なーんで、プノンペンに日本の初心者マークをつけた車が走っているのか?

しかもしつこい様だが、過積載
市内のど真ん中に位置しているのは「プノンペン中央駅」。

カンボジア西部のバッタンバンから、このプノンペンを経由して南部のシアヌークビルまでの路線があるらしいが、現在実際に走っているのは、バッタンバンからプノンペンまでの区間だけ。しかも一日に一本運行するかしないかとのこと。 

駅舎外観はそこそこ立派だったが、中に入ると…
中央駅の中には買い物袋を手に運賃を眺めていた一人しか人がいなかった。この時間は巨大な無人駅である。

北京から、ベトナムのハノイ・ホーチミンを経てカンボジア(プノンペン)、タイ(バンコク)、マレーシア(KL)、そしてシンガポールというアジア南北縦断鉄道の計画もあるらしいが、カンボジアのこの状況を目の当たりにする限り、実際にはそう簡単な計画とはならなさそうな雰囲気が…。
 プノンペン市内には幾つかの主要幹線道路が南北東西に走っているが、そのメインがモニポン通り。 「モニポン」は現在のシハモニ国王の4代前(在位1927~41年)の国王の名前。
 他にもノロドム通り(19世紀後半に在位した国王)、シャルルドゴール通り(フランスの将軍)、毛沢東(マンツェントン)通り、という名前の通りがあった。 プノンペンは通りの名前もインターナショナル。

ふと、通りにあったガソリンスタジオの看板見ると、1リットル5000リエルとの標記。

5000リエル≒50バーツ≒160円。

正直、物価の差が相当ある日本とカンボジアでガソリンの値段がほとんど変わらないというのには驚き。

(新シラチャ日記のこのページにもカンボジアのガソリン話が掲載されています。)
5月19日
 プノンペン市内の交通。

 バンコクの様にメータータクシーは走っておらず(噂によると数台あるらしいが…)、路線バスも見当たらない。

 市民が移動に使っているのは、もっぱら乗合トラックか、トゥクトゥク、バイクタクシー、そして、←左下写真の人力車。

カンボジアのトゥクトゥクはタイとは異なり、普通のバイクに客席をくっつけた物。 これって思いっきり改造車である。
これってバイクなのか? それとも車?

 自転車をこいで客を運ぶ人力車(カンボジア語不明?)は、ゆうゆうと車道の真ん中を走り、人を運んでいる。

 周りの自動車もこれらのスピードに合わせて、ゆっくり運転している。
 ただ、ゆっくり運転している理由は周囲の影響だけでなく、自分たちのせいでもある車両をいくつも発見。

なにせ、乗車している人が落ちそうなのである。

←このワゴン車、何人乗っていたんだろうか…?
荷物の量もハンパじゃなかった。。。
こちらはバイクの後ろに乗っていた女性。

良く落ちないな…と見ていて感心。
 極めつけはこれ。

この人、窓枠を運んでいるんじゃないですよ。

「窓ガラス」を運んでいるんです。w( ̄△ ̄;)w

この人、すごい風圧に耐えながら、のっているのでしょうね~。

これで車道を走るの、危険すぎ。
 そんな写真を私もバイクの後ろに乗りながら撮影していたのだが、良く前を見ると、運転しているオヤジが、片手運転で鼻ほじっていた。

 「オヤジ~!!!」 (* ̄0 ̄*)ノノノノノ

 この後、私がタイから来たと知るや調子に乗ってきたおやじから、「俺、このタイ語知っているぜー!!」と20分にわたり運転しながらタイ語講座。 

頼むから、前見て運転してくれ!!
5月17日
 プノンペンの街中に、有刺鉄線で囲まれた博物館があった。

 トゥール・スレン博物館は1970年代後半に、この地を支配したポル・ポト派が「反革命分子(スパイ)の拘束」という名のもとに社会的に地位の高かった人々などを次々と収監し、拷問し、そして虐殺していった刑務所。

 現在も当時の状態のままで、とても30年が経過している施設とは思えないほど、敷地内には重い空気と、雰囲気が漂っていた。

 (参照: Wikipedia 「S21」)


 元々高校の施設だったものを「刑務所」に転用したため、敷地内には校庭があり、今もその校庭には拷問の際に使用した人を吊るした柱がある。

 柱の下にある甕(かめ)には、水を張り、逆さに吊るした人をこの水中に落とし意識が遠のいたら引き揚げるという拷問が行われていたそうである。

 この拷問から逃れ、楽になるために、人々は事実無根の「私はスパイです」の一言を言ってしまい、そのまま処刑されていったそうである。

  「元・教室」の一角には、ここで虐殺された人々の写真が一堂に並べられ、その数に圧倒されてしまう。その数、記録にあるだけで2万人。

そしてそこから生き残ったのはわずかに8人。

別の教室には、処刑にも使われた鉄製のベッドが死体写真と共に当時のまま置かれていた。
   憎しみ合ってもいない自国民が自国民を大量虐殺するなんて事は本当におぞましい行為である。

 ここの敷地にいた2万もの人々が当時の自国政府に虐殺されていった状況に本当に驚いてしまったが、いま私がいるこのタイの隣国「ミャンマー」でも同じように自国政府によって見殺しにされたも同然の民衆が10万人以上いるとの事である。

 サイクロンの天災に見舞われたものの、その後は報道を見る限り完全なる人災である。
 そしてこれ以上死者が増えればカンボジアのポルポトがここで行った虐殺行為にも等しい。
 ここの刑務所で2万人、サイクロンで10万人、四川地震で6万人、と数字だけでの表現は簡単だが、その数はあまりにも多すぎる。

5月16日
カンボジアは1950年代に当時のシアヌーク国王がフランスからの独立を勝ち取るまで、仏領の植民地としての歴史が100年近くある。

 ラオス同様、その影響は今でも消えることなく、街のあちらこちらで「フランス」を見ることが出来た。

 空港の看板も、クメール語(カンボジア語)、英語、フランス語、中国語と4ヶ国語。


 街中でもたまにフランス語を話している人がおり、タイとは似ているようで全く異質の空気が首都プノンペンには流れている気がした。

 西洋風の建物が立ち、フランスパンが街中で売られているものの、やはりふと横を見ると、東南アジアらしい屋台が軒を連ねている。

 カンボジア人の主婦たちは、スズメのような小鳥やカモのような鳥の丸焼きを内臓と共に夕食用にまとめ買いしていた。


 目の前に停まっていたトラックは昭和30年代に日本で走っていたトヨタのトラック。まだまだここでは現役。 スゲー…
 カンボジアもタイと同じく王室がある国。
現在のシモハニ国王の宮殿。
 当然と言えば当然だが、建物の美しさが他の建物とは全く違う。


→つづく。
5月14日 はじめてのカンボジアへ行ってきました。

ただ、、、なにせ出発前から時間がなかったのと、朝7:00のフライトでバンコクから行ったので、プノンペンでは到着直後から恐ろしいほどの睡魔に襲われ、チェックインしたホテルで到着直後に爆睡。zzz →→→ただでさえ無いのにもっと時間が。。。

プノンペン市内で「所用以外で」した事は…、
[一日目]
  食材市場 & 庶民に交じって食事1皿
  中華レストランでジャージャー麺
  クメール・ルージュの虐殺博物館 & 国立博物館の見学
  川べりでビール & カンボジア料理4皿
[二日目]
  朝から近所にあった餃子屋で餃子2皿
  街の中心部にあるプノン寺の見学
  ちょっとおしゃれなカンボジア&タイレストランで独りで食事
 
…って、移動ついでに立ち寄った寺と博物館以外は殆ど食事。笑   やっぱり食べ過ぎ。

そりゃ痩せるわきゃない、(またまた反省)汗
5月10日

 先日の日刊紙に掲載されていたある広告。

「(料理好きの)サマック(現・首相)は豚が高い…と(いつも)ぼやいている。 
ソムタムを食べた方がいいね」


 とブラックユーモアを交えた広告。

 現職の首相に対していかにもタイらしい言えばタイらしい広告である。
5月5日
 東京で電脳タウンと言えば「秋葉原」。
 バンコクの電脳タウンと言えば、規模こそ違え「パンティッププラザ」、そしてここシラチャには「トゥック・コム」がある。(リンク先は音が出ます)

「トゥック」はBuilding、「コム」はComputer。ここは正にコンピュータービルという感じで、ちょっとした飲食店のほかは携帯や、PCをはじめその関連機器などが、正規品、コピー品問わず所狭しと並べられている。

 ここで先日、タイには無いと聞いてわざわざ日本で買ってきた、約5,000円相当の某PC関連商品と同じような物(コピー品?)が250バーツ(≒770円)で売っていた。 なーんか、ちょっとガッカリ…

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