Let's cook Thailand

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2007年2月
2月28日 「歩ける距離」とは、一体どれ位であろうか?

例えば「駅まで徒歩6分」だったら、日本であればわざわざバスやタクシーに乗らずに歩いて行くであろう。
しかし、ここタイではほとんどの人は歩かない。

“徒歩6分”、距離にして「約500m」はタイでは「歩く距離」ではないようである。

イ(路地)の中には、どこでもモーターサイ(パイク)の運転手がおり、数100m程度の短距離移動に重宝されている(約15バーツ)。1km程度の中距離以上であれば、タクシー(35バーツ~)、又はトゥクトゥク(30バーツ~)。

バンコクでもシラチャでもそうだが、とにかく「歩いている人」を見かけることが少ない。

不思議な事に、タイ人だけでなく、タイに住む日本人もこの国にいると歩かなくなる。
気がつけば、300m程度の移動に、私自身もトゥクトゥクを気軽に利用してしまっている。 …ダメですね~
2月22日

↑写真。 「煙管」と書いて「キセル」と読む。

キセルは両端にだけ金(かね)を用いることから、俗に乗車駅・下車駅に近い区間だけの切符を持ち,中間を無賃乗車する不正行為の事も言うが、これが本物のキセル。 漢字では「喜世留」と書く事もある。
語源に関しては異説もあるが、カンボジア語のKhsier「クシェル」がなまって「きせる」になったという説が有力だそうである。

「きせる」は、火皿のある「雁首」と、「羅宇竹」、そして「吸い口」の三つの部分より成り立っている。

この真ん中の「羅宇竹」、“ラウダケ”や“ラオダケ”とも読むが、ラオス産の斑紋のある竹を用いたのでラオスの国名である「ラーオ(LAO)」が語源であると言われている。


こんな意外な日本語の中にも東南アジアの言葉などが入っているのを知ると、日本もやはり何かしら東南アジアから影響を受けてきた歴史があるのだなぁ…とつくづく思う。
2月16日
日没直後の“プラトゥー・サイ”(ラオスの凱旋門)

先週、所用によりラオスを一泊で再び訪問してきた。

今回は通算三回目のとても小さな首都「ヴィエンチャン」だったので、滞在中の空いた時間は地図も持たずに街中をぶらぶらとしてみた。

街中で見かけたのは、欧米やアジアからの旅行者、ヴィエンチャンの地元民、そしてラオスの山奥から出稼ぎに来ている民族衣装をまとった山岳民族のラオス人商人などなど。

タイで感じるものとも全く異質な、それぞれの独特な時間が流れている空間がラオス、そしてヴィエンチャンであると改めて感じた。

あらゆる面でタイの後背地と化してしまっているラオスでは、物資の多くをそのタイからの“輸入”に頼っていることが多いので、物価は必然的にタイの物よりも高くなってしまっている物が多い。(ただし、西洋からの輸入酒だけは関税の関係で断然安い!)

例えば、ガソリン。 タイでは1リットル30バーツ(≒100円)前後の物が、ラオスでは販売価格が40バーツ弱(≒125円)になってしまっているという話である。
乗車しようとしたトゥクトゥクの言い値運賃があまりにも高く、他のどの車に交渉しても一向に引き下がる気配がないので、「なんで??」と問い詰めたところ、このガソリンの話を懇々と聞かされた。
『普通のラオス人は首都で生活していたとしても必需物資の価格がタイより高すぎて、これでも生活は相当に厳しいよ』と言っていたのが印象的であった。

ただ、早ければ今春(4月24日??)、バンコクから伸びているタイ鉄道の東北線が、現在の終点である国境の街「ノンカーイ」から、いよいよメコン川を越えてラオス・ヴィエンチャンの近くまでやってくるという。 待望のラオス初の鉄道である。

この鉄道開通により、各国から集まるバンコクの港で上がった物や生活に必要なタイで生産された物資が、現在よりも大量に直接ラオス人の元に届くようになるのであろうか。そして、このラオスの人々の生活が今よりも少しは楽になっていくのであろうか?
2月10日
春節の祈祷のお供え。 会社(?)の入口にテーブルを置き、中国の神様(?)にお供え。
テーブル中央には、金色のカボチャと、白(銀)色のカボチャ。ラッキー(幸運)になる為だそうである。
そして、供え物の中には、なんと大量の現金が!!!!  !!??
ただ…よく見ると、“HELL BANK NOTE”の文字が…   「偽造か!!」笑
このお金↑、「弐拾億圓」紙幣と書いてある。 中央に描かれているのは「行長」。どうやら閻魔大王らしい。右の紙幣は… 明かにドル紙幣を似せた作ったもの。 ただ「冥府銀行」発行のお金。
冥界のおかねと一緒に供えられていたのが、この紙製の衣類。良く出来ている服であった… 「冥牌高級服装」とのタグが…

うちの会社のタイ人オーナーは華僑であっても漢字が全く読めないので、私にこの意味を聞いて来たのであるが、何ともうまく説明できず… 
「あの世の服」と言ったら、なんなとく理解はしていた様であったが… 
そして、やっぱりあった、中国人大好き「金の延棒」。もちろん紙製の模造品。
これらの模造現金、金の延棒、衣類等は祈祷後すぐに火で焼却。

これを行う事により、今年一年もお金持ちで、物資にも困らず、幸福になるという考えがあるらしい。。。
なるほど、日本の祭事や習慣でも似たような形がなくはないが、どちらかというと中華系は「延棒」や「模造現金」など、その表現の仕方がストレートであった。
2月5日 今年2008年の2月7日~8日は旧暦正月。 春節とも言い「中国の正月」である。
華僑が牛耳る国のひとつであるここタイでもこの春節は“トルッチーン”(ตรุษจีน)と呼び、街中では今年二回目の正月を迎える準備で慌しくなって来ている。

実は・・・私の職場でも然り。
社長が中華系のタイ人なので、(小さいながら)会社全体をあげて正月祝いをするとの事。わずか一ヶ月前には、西洋正月[1月1日]をド派手にカウントダウンパーティまで開いて祝ったばかりなのだが…

そして今日突然に「明日朝から会社全体で正月のお祝いをするから、全員早朝出勤するように」との指示が。。。
いったい朝早くから、どんなお祝いをするのであろうか?

後日ここで報告します。。。
2月1日
 Newsclipのサイトに乗っていた写真。

1月中旬に発生したバンコクのある銀行に入った強盗の似顔絵写真。
全く顔がわからない、ヘルメットのモンタージュ。

この似顔絵から捕まったら、すごい。
と、いうか… こんなただのヘルメット姿でもねぇ…

ある意味の強烈なインパクトはあるので無いよりはましなのであろうか。。。
1月25日 本業がちょっと忙しい時期だったため、更新暫くお休みいただいていました。失礼しました。
ぼちぼちと更新再開していきます。

とはいえ・・・この更新休業中、ほとんど自宅と職場の往復しかしていなかったため、いきなりほとんどネタなし状態です。
・・ので、近所に掲げられていたポスターを一枚 ↓



「飲酒運転はやめましょう」の看板ですが、なんだかタイ的なユーモアが感じられるポスターです。
わかりやすいですね~ 笑 
1月7日 今日はこれといったネタがないので、タイの雑学小話を…

日本と違い、タイ国内の国道はある法則にしたがって、その国道番号がついている。
タイは全国を4つのブロック分け、バンコクを中心に時計回りに1~4までの番号がついた国道(主要国道)が各方面に伸びている。

 国道1号線… 北方線 (パポヨンティーン線)
   バンコク(アヌサワリー)⇒チェンライ(メーサイ) 943km

 国道2号線… 東北線 (ミッタパープ線)
   サラブリー⇒ナコンラチャシマ(コラート)⇒ノンカーイ 683km

 国道3号線… 東部海岸線 (スクムビット線)
   バンコク(ナナ)⇒チョンブリ⇒ラヨーン⇒トラート 399km

 国道4号線… 南方線 (ペッガセーム線)
   バンコク⇒ペートン(サダオ) 1,581km

また、この主要国道から分かれている国道には、主要国道の番号から始まる数字を頭に2~4ケタの番号が付いている。
こんな感じに。↓



2ケタの番号の付いている道路は「一級道路」、3ケタは「二級国道」、そして4ケタは「地方道」。

2ケタ以下の国道、つまり「主要国道」と、「一級国道」はかなり整備されており「ハイウェイ」としての機能も備えている。
↓この写真はノンカイ県内を走っている国道2号線。


(以下、更に雑談だが…)
 この2号線が完成したのは1958年のサリット政権の時。
 タイ東北地方にとって、本数とスピードに限りがある鉄道とは別のバンコクとの輸送路が確保できたことにより、沿線の街の開発が一気に進んでいくきっかけとなり、タイ近代史上とても重要な道路となっていったそうである。
(タイの鉄道事情がここ数十年間、全く進歩しないのは、これらの道路がしっかりとしすぎているから??)

 また同じく、当時政情が不安定だった海のないラオスにとっても、この道路の完成は外港としてのバンコクと繋がった事にもなり、この後一気にヴィエンチャンを中心に国が発展していく一つの大きな機会にもなって行ったとのこと。
 ただ、ミャンマーや、カンボジアなどとも異なり、未だにタイの後背地としての立場をラオスが脱する事が出来ないのは、政治や経済だけの問題だけではなく、数百年前からの歴史的な問題や、きっとこういった地理的な問題も色々とからんでいるからなのだろうとも思う。
1月2日
新年、明けましておめでとうございます。

もうじき、Let’s cook Thailandも早7年目を迎えようとしています。 本年もサイト共々よろしくお願いします。m(._.*)m
(←タイでは「初日の出」がめでたいとはいう習慣は特にないです。)
 
 さてさて、この年末年始、色々とワケあってタイ西部に位置するカンチャナブリー県へ行って来ました。

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 「カンチャナブリー県」は・・・
 第二次世界大戦中に日本軍がビルマ侵攻の為に建設し、多くの犠牲者を出した「泰緬鉄道」やそれを題材にした映画「戦場にかかる橋」(クワイ川鉄橋)などが有名で、近年ヨーロッパ系、特にロシア人の観光客が急増している県、なのだそうです。

 私が滞在した場所は、周囲半径5km位にコンビニも市場も何にもない恐ろしく辺鄙なところにあったリゾートホテルで、滞在客の95%はロシア人 w( ̄o ̄)w。 日本人は一年中皆無なのだそう。 ここ数年続いているロシア人のカンチャナブリー人気、一体なんでなんしょうか??

その他にも、この県内には多数の滝や、山があり、休日には他県に住むタイ人観光客も多く訪れる街、及び県でした。
クワイ河の鉄橋
泰緬鉄道、別名「死の鉄道(Death Railway)」の建築で犠牲になった連合軍の墓地
サイヨーク・ノーイの滝
通称: プーカオ・トーン、「妊娠山」と呼ばれている山々。

確かに、おなかを大きくした女性が横になっているように見えます・・・

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